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なりたい自分になるルール(100)

こんにちは、紺野うみです。

この連載も、ついに100回目を迎えました!

購読してくださる方も少しずつ増えており、とても幸せなことだとしみじみ感じております。

これまでお付き合いくださった皆様、いつも読んでくださってありがとうございます。

私の言葉が、あなたが自分の人生や心について考えるキッカケになっていたとしたら、とてもうれしく思います。

まだまだ書いてきたツイートの中で、140文字だけでは語り切れないことを裏側に秘めたものがたくさんあります。

今後もそれらをこうやって補って伝えていきつつ、101回目以降からはもう少し自由なスタイルで、この連載を楽しんでいこうかなと考えています。

質問や疑問にお答えするようなものも、おもしろそうですね♪

「こういう内容が読みたいです」といったようなリクエストがあれば、お気軽にSNSからでも、もちろんこのnoteコメントからでも寄せてくださいね!

――それでは、今日のテーマをご紹介しましょう。

さて、人間は生きてゆく中で「さまざまなルール」を決めて、それを守ることによって秩序を保ち暮らしています。

でも、その「ルール」を誰かと共有するためではなく、自分自身に架すために自ら定める場合は、少しだけ取り扱いに注意が必要だなとも思うのです。

今日は、そんなお話をお届けいたしますね!


「こうしなきゃだめだ」に苦しむ人たち

真面目な方ほど、この落とし穴にはまりやすいのですが、自分に厳しくし過ぎることで「心を逃げ場のない所まで追い込んでしまう人」も多いものです。

「自分はこうしなきゃだめだ」「こうでなくちゃ許されない」

そういった想いは、自分の心の「自由」を奪っていき、その思考は次第に自分の行動や言葉をも縛ることで可能性をどんどん狭めてしまうのです。

人の世の中は、内的要因・外的要因を問わず、状況が移り変わってゆくもの。

一度決めたルールがあったとしても、「臨機応変」にそれを動かしていかなくてはならない場面も出てくるでしょう。

たとえば、あなたは殺人鬼に追いかけられていて、その魔の手があと数メートルに迫っている……という時にも、信号が赤だからと立ち止まりますか?

「守らなければいけない!」と頑なに思って動かずにいれば、殺されてしまいますよね。

大切なのは、その時々で「何を優先すべきなのか」というのをしっかりと見極めることであって、「ルールだから守る」という認識ではいけないわけです。

ルールはあくまでも、人の命や心を守るものでなくてはいけません。

自分を壊すようなものや、追い込んでゆくようなものは、その状況に相応しくない「形だけが取り残されたルール」なのです。


「こうできる自分でいよう」に指針を見出す

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