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己の幸せを問おう(017)

こんにちは、紺野うみです。

今日取り上げるのは、昨年2019年の4月に放映されていたワイドショーか何かをたまたま見ていて、うーん……と思ったときのツイート。

このツイートからもうすぐ1年経つわけなので、私は「懐かしいな」って思うけど、実際のところ世の中には、こういうちょっとズレた議論は無くなっていないような気がしています。

今日は、世の中によくある「枠組み」と、その「一般論」に振り回されて、自分や他人の幸せを安易に決めつけてしまわないでほしい、っていうことについてお話したいと思います。


世の中的な「枠組み」や「一般論」の怖さ

「女の幸せって何?」

「結婚すること、子どもを産むこと……」

ひと昔まえは、こういうことが当たり前に言われていました。

最近になって、やっと「多様な在り方があっていいのではないか」「人の幸せはそれぞれの人のものだ」という声が大きくなり、その考え方が少しずつ広がりつつあります。

でも、まだまだ世の中では、冒頭ツイートで書いたように「女」「男」のような大雑把な括りで、人の人生や生き方を定めようとする声もなくなってはいません。

そもそも、「個別」に見つめるべきものであるはずの「幸せ」についてを追求する話の中で、どうして「女」とか「男」とかいう荒っぽい「枠組み」が発生してくるのかは謎です。

(この枠組みに至っては、2択!)

その他にも、よくあるのは「企業人」と「起業人」はどちらが恵まれているか? みたいな議論。

それから、「片親」だから不幸だ、といった決めつけとか。

人はよく、軽い気持ちで「一般的」という概念を生み出します。

でも、そうやって「枠組み」を生み出して、その中に入ることで「安心感」を得たり、そこからはみ出すことで「疎外感」を感じたりするのは、実に安易ですよね。


「個」の幸せを見つめる

私が、個人のお悩み相談を承るときに、アドバイスを贈る際に最も気を付けているのは、この部分かもしれません。

つまり、「その人の幸せ」は何なのかを、その人の心の中から見つけ出すということです。

私が思う「幸せ」を押しつけるのは言語道断ですし、答えはその人の心の中にしかないのだということを忘れず、私の役目はそれをいかに「引き出して、本人が自覚できる状態」にしてあげるかと、「その幸せにたどり着くための道筋」をどれだけ明確に示してあげられるかという点。

つまり、こうやって「一人ひとり」の心に触れながら、じっくりと見つめていくこと以外、「その人の幸せ」を論じることなどできないわけです。

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