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生きることのおもしろさ(059)

こんにちは、紺野うみです。

今このご時世は、あまり「おもしろさ」なんてものに、お呼びがかからない時期であるかもしれません。

むしろ、「おもしろさ」というものが「不謹慎」と言われて、虐められることだってあり得てしまう……。

でも、私は思うんです。

人生から「おもしろさ」を取ってしまったら、人は生きてはいけないと。

どんなに辛い日々の中にも、一人ひとりが「おもしろさ」を見出せる世の中でありますように……。


自分で夢見て、自分で選ぶ

誰だって等しく、自分の人生は、自分のものとして生きなくては「つまらないもの」になってしまいます。

これは「自分のために生きる」という単純な意味ではなく、「自分が何のために生きるかを選ぶ」ということなのではないでしょうか。

つまり、どんな時でも「夢」を見て生きなくては。

こうやって「夢」などというと、たいそうなものばかりを思い描かなくてはいけない気持ちになるかもしれませんが、私はそうは思いません。

大好きなお菓子を食べることだっていい。

楽しみにしている本を読むことだっていい。

まだ見ていない景色を見に行くことだって、真っ直ぐに夢見てもいいんです。

そういうささやかな「夢」だって、本当は大きな幸福だったのだと、今は時代が教えてくれているのかもしれません。

小さな夢だって、幸せの種になります。

小さな幸せの花だって、寄せ集まれば素敵な花畑になります。

小さな夢も大きな夢も、人生を豊かにするためには必要不可欠なもの。

日々の「おもしろさ」を忘れないためには、これを自分で描くことを忘れないでいてください。

そして、その夢を形にしていくために、私たちは一つひとつの行動を選んでゆくのです。


自分で進び、自分で行動する

自分の人生を他人に明け渡さないというのは、「誰かや何かに縋ることなく、自分の力で進み、行動してく」ということでもあります。

これは、もちろん他者を「頼るな」ということではありません。

人は、自分の力だけではどうにもできないことが、山のようにあります。

誰かと力を合わせ、協力することで、さまざまなことを成し遂げていくことができますよね。

「縋る」というのは、他人に寄りかかってしまい、自分の考えや言葉や行動を誰かの手に委ねてしまわないということだと思うんです。

私は、過去にこれをやりかけてしまったことがあるのですが、その時間は常に何かに追われ、外からの評価に怯えているようで少しも「おもしろく」なんてなかった。

今こうして、自分の意志で進む道を定め、何を成したいかを夢見て、心に触れるものや愛する人を選び、少しずつでも前に進んできているからこそ、人生は「おもしろい」と思えています。

もし、今も「自分らしくておもしろい人生」を生きることができていない人がいるなら、そのすべての人にこの違いを知ってほしいし、自分の人生をおもしろく生きてほしいと思います。

こうやってものを書き続けて、誰かにいろんなことを伝えたいと思うのも、それが根底にあるような気がしますね。

今、しみじみと。


紺野うみ

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