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失敗という宝物(114)

こんにちは、紺野うみです。

私は正直なところ、「失敗」という言葉を使うことを避けることがよくあります。

なぜなら、自分から見てどんなに大きな「失敗」であっても、そこで諦めることなくもがいてがんばって、それを糧にひとまわり成長できたとしたならば……それはもうすでに、単なる「失敗」という過去ではないと思うからです。

でも、今日はタイトルでも本文の中でも、あえて「失敗」という言葉を使いたいと思います。

それは、そういった過去がある人はやっぱり、一度は必ず「とんでもないことをやっちゃったな」「あれは失敗だったな」と自己嫌悪に陥ったり、自分を責めて苦しむような時期があることは間違いないから……。

今回これを書くのは、今まさに失敗と言うべき過去を抱え、それをまだ消化できずに自分を呪い続けている人に伝えたいから。

「あなたが今立っている場所は、失敗と成功の中間地点というだけだから。この先諦めずに、成功の場所までたどり着きましょうね」……と。

失敗しない人なんていない

私たちのほとんどは、「恥」をかくことを怖がる生き物です。

人前で手ひどく失敗することを恐れますし、そうなってしまったらどこかに隠れてしまいたくなり、自分も含むすべての人の記憶を「なかったこと」にしたいと思ってしまうことでしょう。

でも、どんな偉人でも聖人君子でも、多分生まれてから死ぬまで一度も、自分で「あっ、やってしまった……」と思ったことがない人などいないはず。

つまり、どんな人の人生にも「失敗」はあって当たり前のものなんです。

それどころか日本の神話に出てくるような神様だって、その物語の中ですら「ええーっ、それはまずくないですか⁉」「そんなことあったの⁉」というような過去を持っているのですから。笑

神様にだってあるような「失敗」を、ひとりの人間が避けられるでしょうか。

むしろそこに、あなたにとって本当に必要な「成長のための挫折」が存在していると、私は思うのです。

失敗は成長に必要な「通過点」

私も過去には、いろいろと恥ずかしい失敗をしてきたものですが……。

後から考えると「あの失敗がなければ、きっとこうは運んでいなかっただろうな」という未来の場所に、今自分が立っているのを感じるわけです。

それを考えると、たとえば「過去に戻ってあの失敗をきれいさっぱりなかったことにできるけれど、どうする?」と魔法使いに訊かれたとして、私は「いや、そのままでいいです」と答えるでしょう。

どんな失敗も「それを凌駕する未来」さえ掴むことができれば、そこは単なる通過点でしかないわけです。

だから、すべての人に伝えたいのは「そこで止まることだけはしないで!」ということ。

絶対に、もったいないから。

せっかく一生懸命「この世で学ぶこと」を決意して生まれてきたあなたが、一度は心をめちゃめちゃに傷つきながらその「失敗」をしてまで獲得した「必要な通過点」という宝物。

それを手放して、なかったことにして、その傷を癒すこともないまま凍結させて、自分を否定してくすぶって生きていくなんて……。

そこは、まだ「めちゃくちゃ素敵な未来」への、道半ばですよ!

なんなら、「めちゃくちゃ素敵な未来」へ向かうことのできる切符を、あなたはその失敗という対価で得られることができたんですよ。

なのに、列車にも乗らなかったり、途中下車したりしちゃうんですか?

なにもかも、諦めちゃうんですか?

失敗した人にしか解らない気持ちがある

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