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心の灯り(075)

こんにちは、紺野うみです。

私たちは、毎日生きていれば、いろんなことに出会うもの。

心が躍るような素敵な日もあれば、どこまでも沈んでしまいそうになるような苦しい日もある。

特に、哀しいときや淋しいとき、辛くて痛くてたまらない日は、誰かや何かに縋りたくなりますよね。

でも、時には「外の世界に縋る先」を見つけられないときもあります。

人生の道を、迷ってもすぐに「この道でいいんだ」と気がつける自分であるためには、心の中にこそ「灯り」が必要なのではないでしょうか。

今日は、仏教の言葉である「自灯明(じとうみょう)」の意味を、お話していけたらと思っています。


答えを「焦る」ことなかれ

現代は、あらゆる「答え」を、早く・正確に求めたい人が増えた時代だと思います。

ひと昔前とは違って、困ったことやわからないことがあっても、インターネットに訊ねてみれば大抵のことは解決できてしまうことが多い。

求めていないものまでどんどん心に入り込んでくるから、「情報の荒波」が、心に絶えず打ちつけているような感覚です。

このスピード感に慣れてしまった私たちは、とにかく「答えを出す」ことに対して「早く、早く!」と、焦る想いが強いのではないでしょうか?

壁にぶつかったときも、わりとすぐに「誰か」や「何か」を頼りにしてしまうから。

自分の心や頭で受け止めて、ありのままの気持ちを感じたり、掘り下げて考えたりすることが苦手なのかもしれない……と思うことがあります。

もちろん時間は有限ですから、「無駄にできない、したくない」という気持ちもわかります。

ただ、私が思うに「自分で感じたり考えたりするリアルな経験の時間」は、たぶん「人から答えをもらって短縮できた時間」よりもずっと重いはず。

こと「人生の選択」に関しては、本当はすぐに答えを出さなくてはと、焦らなくてもいいのではないでしょうか。

世の中や人にそれらしい答えを聞き慌てて動き出すよりも、もっと自分の内側との対話を丁寧に積み重ねながら、「自分として選んだ道」を歩いていきませんか?


「自灯明」ってどんな意味?

この「自灯明」という言葉の意味は、禅の教えで「自分自身を頼りにいきていきなさい」ということ。

人生の道が恐ろしい暗闇に感じるときも、自分の心の中に「頼るべき灯り」さえあれば、人は何とか生きていくことができます。

もちろん、前を歩く誰かの栄光や、周りにいるまばゆい光を出す人の灯りは「揺らぐことのない明確な灯り」に思えて、見ていて心強く感じられるものでしょう。

でも、もしも「外の世界の灯り」が突然失われてしまったら……?

歩く道はたちまち真っ暗になって、私たちは道標のない暗闇の中、恐怖に怯えることになってしまいます。

人は誰だって、いつかはこの世から去ります。

それに、「死」という形以外でも、さまざまな「別れ」はありますよね。

もし自分が頼っていた誰かが目の前からいなくなってしまったら、自立をしていない心は、守ってくれる親を失ってしまった赤ちゃんのように泣くしかありません。

――さらに言えば。

その「外の世界の灯り」が、自分を間違った道に導くものだったら……?

人の人生には人の目指す方向性があり、あなたの人生にはあなたの目指すべき方向があるもので、それが「同じ」に近いとは限りません。

よく、人の弱さに漬け込むような詐欺などは、時に鮮烈な光のような「偽りの魅力」を見せつけてきます。

その幻の光に惑わされてしまえば、ふらふらっとそこに吸い寄せられてしまうこともあるかもしれませんよね。

私たちは不安で不安でたまらなくなると、外の世界に「灯りを見つけないと!」と焦ってしまいがち。

でも、本当は「自分の心の中」にこそ、揺るぎないともしびを持ち続けていないといけないんです。

自分の人生の拠り所や、生きるための力は、自分の中にこそ見つけて・育てて・強くしていかなくてはいけません。


内側の「灯り」は小さくても強い

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