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心の扉を閉ざさない(062)

こんにちは、紺野うみです。

いろんな想いが渦巻く世の中ですが、あなたは「自分以外の想い」を、どれだけ理解していますか? 認めていますか? 尊重していますか?

そして、「自分の中の想い」をどれくらい、誰かに伝えようとしていますか?

決して「ひとつ」には重なることのない、別々の人生を生きる私たちが、お互い幸せに生きてゆくために、必要なことって何でしょうか。


「自分だけ」の世界にしない

当たり前のことですが、あなたは「あなたの人生」の主役であり、多くの場合、今世ではその人生以外を知りません。

自分が今まで過ごしてきた道のりの中で、きっと得たものはたくさんあることでしょう。

その中で出会った人たちや、物事、経験の積み重ねが、あなたの心を形作っています。

その、たくさんの「積み木のようなもの」が、集まって積み重ねられたことでできている、あなたの価値観。

それは、あなたの他に誰も持っていない、この世で唯一のものです。

そして、それはあなただけではなくて、誰の人生であっても同じように積み重ねられています。

「共感」することはあっても、「同じ」にはなり得ないというのが、当たり前のことなんですよね。

だからこそ、私は「自分の心」や「自分の世界」を、誰かにも大切にしてもらうには、「相手の心」や「相手の世界」を大切に尊重する気持ちも、忘れてはいけないと思うんです。

言い換えれば、「自分だけの世界」に閉じこもらない、ということなのではないでしょうか。

先程も書いたように、相手の心の隅々までを「同じように理解すること」など、私たちには到底できません。

だから、誰かと向き合ったときに、できればお互いが扉を閉ざさずにいたい。

自分自身が相手の心を「理解したい」と願うこと。

そして、相手に「理解してもらおう」とする意志。

この二つを、持ち続けられる人でいたいんです。


受け取るための心の器

「自分のことを解ってほしい」「認めてほしい」ということを、私たちはまず願うものです。

でも、それをしてもらうには、自分も相手の想いや考えや価値観という「異なるもの」を、受け入れることができるだけの「器」を持っていないといけません。

これは、誰にでも迎合して、自分の芯をコロコロ変えてしまうこととはわけが違います。

「自分自身の心」はしっかりと自分自身が守りつつ、相手の心を一度は「受け取ってみる」。

その後どうするかは、もちろんあなたの自由です。

「その意見は、自分のそれとは違うから、この人と一緒には歩けない」

「その考えは、私も賛成できるから、全力で応援していきたい」

そういった決断は、後からいくらでもできます。

心の受け皿は、とにかく広い方がいい。

誰かのことが気に入らないから。あの人はどうもムカついてしょうがないから。

「だから、あいつの意見なんてどうだっていい」というのは、残念なことです。

その人が心に持っている「持ち物」を見て、まずはそれをじっくり知ろうとしてみませんか。

そのことが、自分自身の「可能性」を広げてゆくことにも繋がっていますからね。

受け入れる努力は、自分の世界をも広げていく。

人間を大きく豊かにしてくれる、大事な才能なのだと思います。


伝えようとする心の力

自分が持っているものを、別の誰かに「間違いのないように届ける」というのは、とてもとても骨の折れることです。

互いに信頼し合っている間柄ですら、ほんのちょっとの言葉選びや行動の過ちによって、誤解が生じてしまうことはあります。

それだというのに、そもそも自分がはなから伝えることを諦めていたら、それはどうしたって伝わっていきません。

自分の心や世界、人生が、自分だけで閉ざされてしまう。

……そんなのって、淋しすぎるじゃないですか。

まずは、「伝えたい」という想い「届けたい」という想いを、持ち続けなくては。

どんなに自分が自らの主張や想いを大事にしていたとしても、こちらが相手の方を見ていなかったら、すれ違いのまま。

「どうしたら、正しく伝わるだろうか?」

「どうやって言えば、理解してもらえるだろうか?」

そうやって、考えながら言葉を発したり、態度を選んでいくことの「努力」が必要なんですよね、誰にでも。

想いや考えの言葉をボールに例えたら、それを自分が投げるときに、受け取ってほしいと思うなら投げ方も考えなくてはいけません。

剛速球や、明後日の方向、叩きつけるようでは、それを受け取ってくれる人なんて、限られてしまいますからね……。

相手ができるだけ、キャッチしやすいボールを投げてあげる。

そのことこそが、「思いやり」のかたちなんじゃないでしょうか。


「違うもの」が溢れる世界の中で

今は、きっと誰にも明確にわかると思います。

「異なる意見」なんて、そこら中に、山のようにあるでしょう?

時には、心がアレルギー反応を示したように、跳ねのけてぐしゃぐしゃに踏みつぶしたいという衝動に駆られるような言葉にだって、出会うかもしれません。

自分の想いを剛速球で投げつけて、誰かを傷つけてしまいたくなることだってあるかもしれません。

でも、それはもう、異なる人同士が「わかりあうこと」を拒否した世界です。

自分が扉を閉じてしまった瞬間に、もう世界は広がっていきません。

この混乱の中、どうか扉を閉ざしあう人が、増えてしまうことがないように願っています。

扉を明けた状態で、受け取ったら選んで持ち続けるかを考えたり、自分の中から伝えたい想いを届ける手段を、考える人になりませんか?

そうすれば、きっともっと心温かい人生になるはずです。


紺野うみ

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