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揺るがぬ自分を探すこと(115)

こんにちは、紺野うみです。

世の中、表面的な暮らしは皆がそれぞれにがんばっている様子なのですが、とにかく大きな存在や場所やグループの混乱が酷いものですね。

どんなときも、一人ひとりは健気に生きてゆくしかないけれど、その想いを大きなものに踏みにじられるのは辛いものがあります。

でも、こんな時代だからこそ、世の中がどんなに混沌としていても、最後の砦ともなる「自分の心」は守り抜かねばいけません。

今日は、自分を知り、その心を守り通すことについて。


自分という一本の樹

イメージしてみてください――あなたはこの星に生まれた、一つの樹木のようなものだと。

あなたの人生は、まず命が宿ったその環境に育てられてゆきます。

どれだけ栄養のある土壌に恵まれるか、それから、どれだけ豊かな光を注いでもらえるか。

もちろん、たっぷりの愛情という水を注いでもらって、時には嵐にもさらされながら、それでも倒れずに立派な大樹へと成長していくのが目標なのです。

やがて大きくなったら、自分の持つエネルギーで小さな別の命を守り育ててみたり、大きく広げた枝葉で影を作り、愛する存在を慈しむこともできるはず。

それだけのことができるようになる立派な樹木になるためには、自分の体と心をしっかりと支える、根っこのようなものがなくてはいけません。


深く根っこを伸ばせていますか?

私は昔、思っていたよりも自分を知れていなかったことに気づいて、それを一生懸命取り戻すため、自分の心を理解する時間を持ったわけですが――。

今思えば、それはとても浅くしかはれていなかった、自分という樹木の根っこを、深く広くはりめぐらすための作業だったと感じます。

外側の世界に影響されるレベルの浅い根っこしかはれていなければ、嵐や別の人の力で簡単になぎ倒されてしまうから。

「自分にはこういう特徴がある」
「本当はこんな願望を抱いている」
「こうしてゆくことが幸せにつながっている」

そういう、自分の核となる部分を、しっかりと把握できているかどうかが、自分の根っこを深く健やかに伸ばしていくための条件になるのだと思います。

「自分のことを理解する」って、「私はできてるよ」って思ってしまいやすいのが難しいところで。

自覚できている「自分」が、本当に純粋な姿で、いろんな角度から客観的に見つめることができているかは、常に考えておかなければならないのだと思います。


世の中に翻弄されすぎないこと

いつの時代もそうですが、世の中とは「大衆」が作り上げている世界なので、ある意味での「流れ」のようなものが絶えず存在しています。

でも、それにただ身を任せて翻弄されるのではなく、自分はしっかりと根を張って自分の力で立ち続けることができる樹木でいられるようにしたいものです。

「みんなそうしているから」
「世の中がそうなってしまっているから」

こういう言い訳を口にするようになっていたら、あなたは自分の力で立つことを放棄しているのかもしれません。

大事なのは誰かや何かの意思に自分も同調して楽をするのではなく、自分の心で感じ、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭でしっかりと考えることです。

世の中には求めてもいないようなたくさんの情報があふれ、聞きたくもない声だって簡単に届いてくるもの。

自分の心に雑念が多く交じりやすい世界にいるわけですから、自分の中と対話することをおろそかにしては、すぐに外からの意思や思惑に惑わされてしまいます。

あなたなりの形でいいので、自分と向き合う時間を大事にしてあげてください。

心のこと、体のこと、どちらも大事です。

せっかくあなたとして生まれてきた命を、無駄にすることがないように。

それを誰かのものにするのではなく、自分のものにしてあげてくださいね。


紺野うみ

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