引き続き撮っています。
「なぜそれを撮ったのか」はあまり語られない。語る必要もないし、それを言っちゃあおしめぇよ的な向きもある。ただ、自分でも理由がよくわからないまま撮って逃れようのない具象になるのが趣味としての写真の楽しさで、正解のない理由を探しにいく時には抽象としての言葉の出番だ。
ちょっとアホみたいに、キャプションに撮影の意図を添えて32枚載せます。
見ての通り横浜周辺です。
近所や通勤路付近や知り合いを撮るのは、見慣れたはずの景色に異なる見方を発見する訓練になるが、よく知らない土地を歩くと自分が何に惹かれるのかが純粋に現れる。
シャッターチャンスは用意されず、捉えた風景は必ず少し遅れている。あらゆる風景を通り過ぎる自分の心の中で無作為にシャッターは起動し、脳が人差し指に出した命令が届く時間だけ遅れて世界が止まる。
写真は、知っているようでいちばん知らない「わたし」の知らない部分を引き出して写すブラックボックスの出口のようで、RAW現像でシャドーを起こすように撮った理由を探しにいく。