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「モテたい」ですか

「モテたい」というのがよくわからない生涯を送ってきました。

とくにヘテロセクシュアル・シスジェンダーの男性と飲み会とかでその話になると、わたしもヘテロのシス男性であるはずなのだが全く同意できない上に話を合わせないので、蚊帳の外で中に入りたくもないままフワフワそこらへんをモスキート級に浮遊しています。

「嘘つくな。気取りやがって。モテたいだろ、誰でも。男なら」と有無を言わせぬ感じになってしまうんですよね。多様なジェンダーが表面化してきたからって安易に仲間を作ろうとすんじゃねえよ雑にくくるんじゃねえよと思います。

「モテる」の辞書的な定義は現時点ではどうでもいいです。みんな「モテたい」と言う人の使用語例を散々聞いてきているはずだから、それが指すものはみんな帰納的に体感していますよね。その話をしています。ノンバイナリーとかの話もしてません。「モテたくない」ではなく、「モテたいと思えない」という話をしています。問題はだいたい白と黒の間にあります。

ぜひ振り向いてもらいたい「あなた」には全力を尽くします。気持ち悪いレベルで傾注します。特定の相手には死ぬほど興味があります。じゃないとaikoとかずっと聴きません。でも他の人にはそうしようと思いません。誰かが「モテているから」言い寄る人がいたとして、そういう人にもあまり興味がありません。「モテてきたからそういうことを言うんだろ」とか言われたこともありますが、あなたわたしの何を知ってるんですか。わたしの人生のドラレコを40年分観てきてから言ってください。モテた記憶などありません。

しかし、原理的に「モテたい」というのはモテてない人の望みですから、人類皆モテたいのならば、わたしは無自覚にモテてきたのではないかと疑いの目を向けてみる必要がありそうです。もし、「モテたい」が「注目されたい」とか「目立ちたい」ということなら、注目はされてきたと思います。小学生の時から171cmありましたし、人よりも足が速かったですし、昔からよく「キモい」と言われますし、aikoがどうとか深夜にカラオケ動画とかあげてる気が触れたTwitter(現:X)のアカウントには1万6,000人以上のフォロワーがいます。正直意味がわかりません。注目はされてきた気がしますが、注目されてきていればモテたい欲は鎮まるんですかね。そんなことないと思います。フォロワーめっちゃいるのにモテたいと言う人を何人も知っていますから。「注目されたい」と「モテたい」は別の欲求だと思います。

「モテたいと思えない」の特殊な動機として、モテまくってモテる負の側面を痛いほど味わってきたからこそ切実に「モテたくない」という人がいると思うんです。B'zの曲を聴いてると稲葉浩志さんとかそんな気がするし、言い寄られまくってるモデルからそんな話を聞いたこともあります。でも、わたしは明らかにそうではない。そうではないが、モテたいと思えない。消去法で進めています。めんどくさくなってきました。

「モテたい」と言う人がモテ本とか読んで頑張ってちょっとモテたあとで「良さげな人と付き合ってみたけどうまくいかなかった」みたいなことを言います。「良さげ」とはどこの毛なのか。毛並みの良い毛が生えている人なのか。そうなると俺は埒外なのか。

それって結局誰かと付き合いたいわけなんですか。もしそうなら、同時多発的に複数の人と付き合いたいとか侍らせたいとか尊敬する人は渋沢栄一ですとか現代の徳川慶喜になりたいとかポリアモリーを自認するなどではない限り、「モテたい」というのは「広く網を投げて最終的に誰か特定の望ましいひとりと深い仲になる」ための欲求ですよね。「誰でもよい」というのでなかったとしても、「こういうタイプの人にモテたい」と枠を狭めたとしても、最終的には誰か一人に出会いたいわけですよね。

「ならピンポイントでいけよ。」

そう言うのですが、決まって「おまえはわかってない」みたいなことを言われます。わからないから教えてくださいと言っているのです。なぜモテたいんですか。

さて、ここまで読んでくれている「モテたい」人。わたしがある話題に触れていなくてイライラしているでしょう。「セックスがしたいんだよ」と言いたい人が、いるでしょう。そうですか。そうなんですね。

有料にするか。いや、このまま行きますね。

「モテたい」=「セックスしたい」である場合、「いろんな人とたくさんセックスしたい」ということになりますよね。なるほど。言われてみればそうかもしれません。「セックスしたくない」わけではないが、「いろんな人とたくさんセックスしたい」という生物学的な雄の欲求っぽいものが自分にはないのです。

なぜこんな話をしているのか。すいません、これ仕事の話なんですね。「いろんな人とたくさんセックスしたい」と思ってこなかったことが、自分の仕事のスタイルに明らかに影響しているのです。性的な指向というか傾向は生き方に影響するのです。世界はメタファーだ、カフカくん。

編集者として生きている限り、本を作らなければ生きていけません。本が子どもであるなら、子どもを作り続けなければ生きていけない職業に就いています。1人と添い遂げるみたいな特定の作家の専属編集者にでもならない限り無理ですし、そのつもりはありません。

たぶん、「モテたい」という欲があったほうが編集者ってやりやすいと思うんですよ。「いろんな人とたくさんセックスしたい」と思う人のほうがたくさん本出せますから。でも、自分はそう思えずにしばらく苦しみました。

なんでだろうと思い返したときに、「モテ」への意識に源流があることに行き着きました。自分は編集者向いてないのかなーと思いました。しかし、編集の仕事は好きだったので、作りたい人とだけ作る方向へ仕事のスタイルを変えたのです。書籍市場はどう控えめに見ても完全な多産多死型になっていて、それは業界全体にとっても良いことではないから、そうでない編集者に生きる道はあるだろうと思ったのです。好きでもない相手と体液を絞り出し合うだけのような仕事は気持ち良くもなんともないのです。愛せない子どもなど絶対に作りたくはないのです。それで無理なら辞めるしかねえなと思っています。そういう編集者が増えてほしいです。

一つ、書いてみてハッキリわかったことがあります。この世の真理に辿り着きました。22文字だけ有料にしますね。話はここで終わっているので、購入しなくても何の問題もありません。

ありがとうございました。

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