1%の可能性

生まれてから今現在に至るまで、一歩たりとも真っ当な道を歩いていない自信がある。

幼稚園時代は非常に手のかかる子どもとして過ごし、小学校・中学校時代はバリバリ不登校で、高校は通信制に毎日通い、大学では部活に明け暮れる。


どうやら普通の幼稚園生は、運動会やおゆうぎ会をそつなくこなすどころか、退園時間になったら帰るものだということは、中学生くらいのときに気づいた。

運動会は先生に抱っこされ続け、おゆうぎ会は舞台上で眠り、退園時間になってからお弁当を食べるのはあまり常識的ではないらしい。

小学校は最初はそこそこ優等生で通っていたものの、小3で突然不登校になり、そこから6年以上不登校だった。2,3日に1回は図書館に行き、7,8冊の本を借りる暮らしを続けるのはあまり一般的ではないらしい。

中3になり、漠然と大学に行きたかったため、仕方なく高校へ行ってみたら、毎日来なくていいという言葉に安心して、毎日通った。ちなみに毎日来ている同級生は私を含めて5人ほどだったし、その中から一般で大学に行ったのは私だけだった。

夢に溢れた大学に入ってみて、大学生たるもの何かサークルの1つにでも入ってみようと思いたち、大学生といえば、ラクロスかアカペラか演劇だろうと決めつけた上で、運動も歌も恐ろしく下手だったので、演劇サークル(あとから知ったが、部活だった)の門を叩いたのである。
この演劇というものは、どうにも面白く、半年以上も丸一日の休みは取らずに演劇かバイトをするという暮らしを大3まではしていた。


そうして迎えた大学4年、コロナ大流行の年である。強制的に引きこもり、就活の波にも乗り切れず、卒論を書くしかない日々を過ごし、うつ病にまでなった。

うつ病と同居しながら、潜り込んだ就職先はどうにもしんどく半年で離職、アルバイトにも挫折。福祉の手を借りるべく、区役所に駆け込んだ。

そこからなんとか就労移行支援にたどり着き、にっちもさっちもいかないということだけがわかったので、ついに検査にこぎ着けて、発達障害の診断が下ったのであった。完、とはいかない人生は続く…。

人生観は変わっても、人生は完了しないので、障害者として生きている。ASDだし、うつ病も治ってないし、でも生きている。

ふと、考えることがある。あまりにも癇癪持ちな幼稚園時代、全くもって学校に適応していない小中時代、できることとできないことのバランスがおかしい高校・大学時代。いつだって、発達特性があると気づいてくれる人は居なかった。うつになる前に発達特性に気づいていたら、私どんな人生だったかしら。


こんなにも曲がりくねった道を歩いているのに、誰も止めてくれなかったのか、制止を振り切って生きていたのか。多分後者な気もするが、こんな人間が隣にいたら、あなたは是非制止し続けて欲しい。気づいて感謝する日が死ぬまでに来る確率が、1%くらいあります。

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