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幻の幸せのステージ

ミニマリストを目指し、物を捨てたり、生活を見直すうちに私にはある変化があった。
それは日々に幸せを感じるようになったことだ。1日のおわり、夕日を眺めながら、充実感をおぼえる。「今日もいい日だったなぁ」と呟いたりする。

別に宝くじに当たったわけでもないし、奨学金の返済が消えたりしたわけではない。
持ち家もないし、そもそも自分の所有している物は中古の軽自動車と数十冊の本と漫画、知り合いのハンドメイド作家さんから購入したアクセサリー、古着屋か無印、ユニクロの服と誕生日に兄弟から贈ってもらったニューバランスのスニーカー、ダニアナの黒のパンプスくらいだ。iPad Airが持っているもので一番、高価なものになるだろう。
こうして書き出してみると、自分の所有するものはお金に換算するとたいした金額にはならないだろうと思う。

それでも私は確かに幸せを感じる。

昔の方がはるかに物を所有していたが、心はいつも何かを求めていた。何かと体調不良になって、よく病院にかかっていた。季節ごとに風邪を引いたり、原因不明の不調に悩まされていた。
今は通院している精神科の定期受診くらいで、あまり病院に行くこと自体、少ない。
体調に悩まされることもない。

休日の朝は、6時には起床して、一時間の散歩に出る。これがとても楽しい。
ゆっくりと陽が昇り、町が動き出す気配を感じる。1日が始まることへのワクワク感と今日は何をしようと考えるだけで楽しい。

はて、私の中で何が変わったんだ?

考えてみると幸せの正体を知ったことが大きい気がする。
私は何かを達成したり、何かを手に入れることで幸せのステージがあるのだと思っていた。そのステージに上がれば、何をしていてもhappy!!と。
けれど、いくら手に入れても、このステージには上がれない。というかステージの場所すら見つからない。
きっと私の努力やレベルが足りないのだ。もっと頑張らなくては!と自らを追い詰めていた。
だが、娘を出産した時、私は知った。幸せはステージではなく、瞬間なのだと。
娘を初めて抱いた時、私は確かに幸せだった。では、育児をしている時、ずっと幸せなのかと云えばそうではない。苛立つこともあるし、何でそうなるんじゃい!と仰ぎたくなる時もある。そのなかで、瞬間、瞬間で幸せを感じる時はあるがそれは永遠ではない。そういうものなのだと知ってから、私は幻のステージを探すことをやめた。
日々を大切に生きる。丁寧に生きていきたいと思うようになった。

平日、朝5時には起床し、朝食とお弁当作りをする。早起きなんて苦手だった。完全な夜型で、朝起きられないから単位を落とすこともあったくらいだ。それが今、朝型になり、夜は9時は就寝する。え? 深夜12時? 目がもちませんわ。
昼近くまで寝ることも無くなった。遅くても8時には起きる。8時まで寝ていたら、贅沢だなぁと思うくらいだ。

数年前の私が見たら、びっくりする。それくらい私は変わった。別に有名人にもお金持ちにもなってはいない。モテるようになってわけでもない。むしろ体重は増加し、キューピーみたいに丸くなった。それでも幸せだと思える。

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