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私は私を引き上げるだけよ

YouTubeを観ていた。kemioさんのチャンネルを観ていたら、名言が出てきた。
『てか、自分を救えるのは自分だけだからね。ディズニーみたいに救ってくれる人が現れたりしないから。』

マジでそうだよ!!

気付くのに30年掛かったわ。誰かが私の人生の救世主になってくれたりしないし、そもそも現れない。

かまたくさんという人は著書の中で語っている。
『自分の人生では、自分が主役であるのと同時に、自分も別の誰かの人生のエキストラだったり観客だったりするわけよ。これがワンセット。』

この言葉の意味がしみじみと分かるようになってきた。
世の中には、自分が主演です!!って主張する人もいる。うん、あなたの人生ではね。私にとっては、主演どころかエキストラでもないけど。まぁ、お好きにして下さいと心のシャッターを閉めている。

友人、スナフキン(仮名)は自分の人生という映画にエンドロールに名前も出したくない人のことは、考えない、思わないようにしていると言っていた。

人生を映画、舞台などに例えてるが、要する、

自分の人生は自分のものということだ。


当たり前で、はぁ?と思うかもしれないが、このことを忘れたり、気付かずにいる人もいるのだ。

私がそうだった。自分の不運や境遇に不満を持って、嘆いているくせに雛鳥のように救われるのを待っていた。
いまなら、ケツを蹴っ飛ばして「はいはい、そうしててもマジで何も無いから、まず動けな。自分の脳みそで考えてけ。マジ、他力本願すぎてヤバいわ」と言っている。

自分の人生だから、好きにしていいんだと気付いた途端、羽が生えたんじゃないか?と思うくらい身軽になった。身軽になりすぎて、アホなことを重ねたがそれも後悔していない。それも含めて私なのだ。

たまに不幸をネタに話をする人は本当に何なんだろう。「じゃあ、〇〇したら?」とこちらが言うと「でも▲✖︎⚫︎だしぃ」と返してくる。

知らねぇよ

不幸かどうかを決めるのは、私ではない。その人自身だ。その不幸から脱却したいのかどうかも当人が決めることだ。

私に出来ることは、意外と少ない。他人をどうこうするなんて、到底無理だし、助けるなんて無理すぎて失神する。私に出来るのは私を少しでもマシな所に引き上げることだ。

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