嘆謬忌は淸えても〜西村賢太生誕祭〜
2024年7月6日土曜日。
西村賢太先生の生誕祭(故人に対して生誕祭というのもおかしな話だが)が開催された。
場所は勿論、鶯谷の信濃路。
タイトルは【嘆謬忌は淸えても】。
僭越ながら私がタイトルを考えさせていただいた。
参加者の方から「これはどういう意味なんですか?」と何度か聞かれたのだが、正直深い意味はない。
【羅針盤は壊れても】をもじり、西村賢太っぽい難読漢字(というほどでもないが)を使いたかっただけである。
西村賢太っぽい難読漢字や難読単語ならいくらでもあるのだろうが、根が自意識過剰かつ気弱にできている自分は、実際に存在する難読単語を使用した場合、使い方の誤りなどを指摘されることを恐れたのである。
また、「西村賢太ぶるな」や「っぽいことをするな」という西村賢太過激派ファンから石を投げつけられるのが怖かったのである。
ーまあそんなことはどうでもよい。
定員の25席は満席。
20人弱のファンが押し寄せ、
特別ゲストで落日堂の新川さん改め朝日書林の荒川義雄さん、生前先生と交流のあったOLEDICKFOGGYの伊藤雄和さんがいらっしゃった。
15時に会はスタート。
責任さんの司会で参加者一人一人の紹介を終えた後、「かたり場読書会」による「推しの一文」のコーナー。
各々が持ち寄ったお気に入りの一文を発表し、
好きな理由を語ってもらう。
司会のかたり場読書会が一文一文を丁寧に読み上げると、時に共感の声、時に疑問の声、時に大爆笑が巻き起こる。
ちなみに私は、【青き愚者の記録】から以下の一文を抜粋させていただいた。
【人間、ダメなところなんていくつあってもいい。今すぐ直そうと思う必要もありません。むしろそれを覆い隠しながらの人生は厄介なものです。ダメな部分も抱えた生身の生を、堂々と突き進んでいってください。】
それぞれがそれぞれの感性で掴んだ先生の言葉を聞けるのは、とても貴重な経験になった。
続いては、OLEDICKFOGGYの伊藤雄和さんによる質問コーナー。(ありがとうございました…!)
生前交流があったからこそ答えられるような内容やエピソードを沢山聞かせてくだすった。
特に印象的だったのは、伊藤さんが先生と初めて飲んだ時のこと。
ホームである信濃路に伊藤さんを呼んだ先生は、入店早々大きな声で
「見ろ!この人間界のゴミクズ達を!」と他の客を見渡しながら叫んだらしい。
文面で見ると本当に戦慄してしまうが、これも先生の愛というか、心底そこにいる人たちを忌み嫌っているようには感じられない。
むしろ、そこにいる人たちと自分に仲間意識のようなものさえ抱いていたのではないか、と思ってしまうのは、ファン故の妄想だろうか。
続いて、OLEDICKFOGGYの伊藤さんによる弾き語り(本当に貴重でした…!)
弾き語っていただいたのは、先生が好きだと言っていた【いなくなったのは俺の方だったんだ】という楽曲。
些か上から目線になってしまい恐縮の極みだが、これは音楽に人生をかけてきた伊藤さんだからこそ書ける曲だと思う。
何かに夢中になり、何かを追いかけていると、気付いたら周りに誰もいなくなっている事がある。そんな時、誰もが「皆いなくなっちゃったな」なんて思うのだが、「みんな」からすればいなくなったのはこちらの方なのだ。
という気持ちを歌った曲だ。
周りを見失うほど何かを追いかけた経験が私にはないが、この曲を聴く度に歌詞に共感し、目頭が熱くなる。
俺だけは俺のそばからいなくなってたまるか。
という気持ちになる。
そんな思い入れのある曲を、目と鼻の先で本人が弾き語ってくださるなんて、まさに夢のような時間だった。
歌手の方に言うのは失礼なのかもしれないが、
本当に歌が上手い。上手すぎた。
テクニックが云々とか、ピッチが云々とか、
そういったレベルや次元を超越している。
肉体が楽器となって魂を声に変え、全身で歌を鳴らしている、といったような感じだった。
ゲストとしていらっしゃったのも奇跡のような話だが、弾き語りまでしていただけるなんてどう感謝してもしきれない。
本当にありがとうございました。
最後は、朝日書林の荒川義雄さんによる質問コーナー(ありがとうございました…!)
ファンからの止まらない質問に、作品通り引っ込み思案の荒川さんはタジタジ。
芥川賞受賞以前は荒川さんと呼ばれていたが、
受賞後は度々呼び捨てにされていたとか。
作品の中では荒川さんが先生に怒るようなシーンが度々見受けられるが、基本的にそんなことはなかった模様。基本やられっぱなしだったらしい。
そういったことを聞くと、私小説はあくまでも小説だということを改めて思い知らされる。
「西村賢太を一言で表すと?」という質問に対して、「シャイ」と答えた荒川さん。
その場にいた殆どの人は先生と一度も会ったことがないのだが、その場には共感の色が濃く現れていた。
作品を読んでいれば何となく分かる。
とにかく先生はシャイなのだと。
また、イメージ通り先生はエネルギッシュで、エネルギーがありすぎる故に怒りを抑えられなかったり、感情を押し殺したりするのが苦手だったようだ。
そのエネルギーによる(?)岡惚れの現場も何度か目撃していたらしい。
あげるとキリがないので荒川さんから教えていただいたエピソードはここら辺で終わりにするが、席が隣だったこともあり、本当に色々な話をしていただけた。ストーカー気質なファン20名弱のために来てくだすった荒川さんにも、最大限の感謝をしたい。
18時ほどまで会は続き、みっちり3時間楽しんだのちに閉会。
これを書いているのは7月12日。
西村賢太先生の誕生日である。
生きていれば57歳。
もしも生きている時に生誕祭などファンがやりだしたらどう思うのだろうか。
今は向こうでなんと言ってるのだろうか。
「一端の文学通を気取った馬鹿集まり」なんて揶揄するのだろうか。鼻白んでいるのだろうか。
それならそれでいい。
とにかく、一度でもいいから孤独が滲み出るあの笑顔を見てみたかった。
先生に出会えたおかげで、弱いまま、ダメな自分のままこの生を全うしようと思えました。
人生という苦役列車を終点まで駆け抜けてみようと思えました。
先生の作品のおかげで救われた夜が、乗り越えられた夜が沢山ありました。
それをいつか伝えたい。
いつかそっちに行った時、カルピスでも飲みながら伝えたい。
先生、お誕生日おめでとうございます。
今もなお、先生の誕生日を祝っている熱烈なファンが沢山いますよ。
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