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万引き家族〜ただ「有る」モノ〜

忍ぶはトーキョーに出てくるまで、買い物をするには街まで車を走らせなければならないような、過疎必至の辺鄙な田舎に住んでいた。

そんな地域だから、自営業を営んでいる人も少なくて、ほとんどはごく「普通」のサラリーマン世帯だった。
家は一軒家で、こどもたちはみんな、祖父母がいて、両親がいて、兄弟がいた。

忍ぶも例に漏れず、そういう家庭に育った。物心つくまで、それが当たり前だと思っていた。

「みんな」が忍ぶのようではないと気づいたのは、近所にAちゃんが住んでいたからだと思う。

Aちゃんは忍ぶの家の前の道を挟んだところの、平屋の一軒家に住んでいた。
忍ぶが小学校にあがったころからか、祖父母や両親がしきりに「Aちゃんと遊んだら?」と言うようになった。
そういわれても、当時の忍ぶは、Aちゃんと仲良くする気はさっぱりなかった。
Aちゃんは、家は近いものの、保育園も違えば小学校のクラスも違う、習い事も一緒でない、と接点があまりなかったので、そもそもどんな子かあまり知らなかったのだ。

といいながらも、たぶん2.3回遊んだ。近くに住んでれば、嫌でも顔を合わせるし、お互い時間が無限にあるこどもだったから、遊ぶこともある。2.3回とはいわず、もっと遊んだかもしれない。でもその時の違和感が決定的となって、忍ぶはその後Aちゃんと遊ばなくなったし、忍ぶが高学年になった頃には「Aちゃんと遊びなさい」とは言われなくなった。

Aちゃんに感じた違和感とは、圧倒的に、「おうちがじぶんとはちがう」という違和感だった。
Aちゃん自体は、ごく普通の明るい女の子だった。けれど、その違和感によって、幼心に、忍ぶはAちゃんを敬遠したのだとおもう。

Aちゃんは、父親と、祖父母と暮らしていた。母親がいないことよりも、父親の顔を見たことがない、という違和感があった。近所に住む子どもたちの親は大体が顔見知りで、顔見知りではなくとも、地域や小学校の行事で顔を合わせるから、知っていた。けれども、忍ぶはAちゃんの父親を見たことがなかった。
それから、Aちゃんは絶対に友だちを家に入れなかった。
忍ぶは、Aちゃんの家がいつもしめきっていて、物置にごちゃごちゃと物が置かれていたので、少し不気味だったから、それはそれでよかった。

やがて、忍ぶが中学に上がると、Aちゃんの家が特殊なことが分かってきた。親が小声で、「Aちゃんの家の水道が止まった」と話しているのを聞いた。
どこから、父親からヤクザとか、暴力団に入っているとか、そういうことも聞いた。
実は小学校高学年か、中学生くらいから、Aちゃんのお父さんを何度か見かけるようになった。パンチパーマで髭を生やしていたのを覚えている。一度だけ地域のゴミ拾いの監督者をやっていた。
Aちゃんちに近所の子がみんな集合して、Aちゃんの父親の後をついてゴミを拾うのだ。
Aちゃんちのむかいにも、同級生が住んでいたのだけれど、その子の母親が、「ゴミ拾いですか?ご苦労様です」と笑顔で話しかけてくれた。
忍ぶたちは、ぺこりと挨拶をして先を行ったのだけれど、その後Aちゃんの父親がその同級生の母親のことを罵っていたのを覚えてる。内容は忘れたけれど、忍ぶはその時、うつむきながら、二度とAちゃんのお父さんとはこういうことをしたくない、と思った。

Aちゃんの祖母は、周りの子の祖父母より、一回り年をとっていたきがする。足が悪くて、腰がぐにゃりと曲がっていて、それでも、いつも小さな乳母車みたいなものを押しながら、近所を散歩していた。
私に会うと、必ず声を掛けてきて、「忍ぶちゃん、おおきくなったねぇ、」といいながら、忍ぶのことを褒めた。そして、最後に必ず「うちのAと仲良くしてあげてねぇ」と言った。
忍ぶは自分が学校でAちゃんに声をかけることはないのに、と思いながらも、「はい」と言う。良心の呵責を感じたけれど、それはすぐに忘れてしまうようなものだった。

中学生になった頃にはAちゃんは学校にあまり来なくなっていて、時折祖母が、Aちゃんはどうしている?と心配そうに様子を聞いてきた。

おばあちゃん、忍ぶにはどうしようもできなかったよ、と思う。社会に出た今なら、もしかしたら多少のアドバイスはできたかもしれない。でも、当時はAちゃんを遠ざけた違和感が何かもわからなかったし、大人は説明しなかった。
ただただ、Aちゃんが明るく過ごせるように、その願いから、自分の孫に「遊んだら?」と言ったのでしょう?
気持ちはわかるけど、忍ぶには分からなかった。できなかった。ごめん。

Aちゃんが不幸だったとか、そんな話をしたかったのではない。
忍ぶは、社会のことがわかるようになるにつれ、あの時Aちゃんと仲良くしなかったことを、次第に後悔するようになった。
綺麗事を言っている、と批判されるかもしれない。
でも、やはり、その時自分が、Aちゃんを見ないふりしたのが、なんとなく、その程度なんだけど許せなくて、そんな自分をまた、最低だと感じる。

万引き家族は、忍ぶがこうして、見ないふりをした人たちの集まりなんだと思った。
その人たちのことをどうしようもできないから、「努力しなかったのが悪いんだ」とかなんとか、言い訳をしながら、また、見ないふりをする。忍ぶたちの世界が、こうあってほしくないから。みんな、文句を言いながらも労働してお金を稼いで、そのお金で生活をして、さらにたまの贅沢をしたりして、親は子供を愛していて、子供は親を必要としていて、性を売ってお金を稼いだりしないから、そのはずだから、そうあるべきだから、そうではない人のことを、考えないようにする。
または、それに関わる人のことを批判する。なんで助けてやらないんだ、自分たちの代わりに助けることを仕事としている人がいるのに、なんで助からないんだ、職務怠慢だ、システムが悪いんだ、なんとかしろ。

だから忍ぶは思ったのだ。ものごとの善悪はともかく、肯定も否定もせず しぶんとはちがうものを「有る」と認識することが大切なのだと。受け入れる必要はない、同情する必要もない。その人たちがただ「有る」こと。生活を営んでいること。それが、同じ世界にあること。それが世界だということ。

#万引き家族 #映画 #感想

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