『ぼくの狂人くん』に寄せて


——なんにも知らないままのほうが楽しく生きていける

『ぼくの狂人くん』 いとだ旬太

先日届いたこの商業BL漫画のレビューです。

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人気ホストのカスガ(本名・春日部)は調子に乗っていた。
女を侍らせ貢がせヤりまくりの日々。人生はチョロいとナメきっている。
しかし、チンピラグループの女に手を出してしまったことから彼の転落が始まった。
追われる身になった春日部を匿ってくれたのは、裏社会に生きる幼なじみの檜(ひのき)。
チンピラの溜飲を下げるため、春日部が犯されているビデオを撮影するハメに。
ち○この使用を禁じられたヤリチンの末路とは——!? 狂気の愛を描いた衝撃の問題作。

カバー裏から引用

というあらすじで、巻かれた帯には
『キメセクでケツ溶かしてやるよ』
『クズ男同士の歪んだ執着愛』
『冷酷非道なイケメン極道×性欲旺盛でチョロ可愛いホスト』
の文言がかわいい字体でポップに踊っている。

表紙の明るい色合いからも、一瞬
「エロエロでポップなハッピーキメキメボーイズラブかも!」
と思えなくもない。
ですが、
表紙に描かれた受けの顔面の、殴られたのまるわかりの血!
タイトルにガッツリ入ってる『狂人』の二文字!
そこから察してください。
私の大大大好きな暴力のやつです!!!!!

この漫画、本当にすごいんです!
最初から最後までありとあらゆる形の暴力たっぷりなんだもんなぁ。
暴力界のト〇ポ。
一本食べきるまでの間に前菜からデザートまで味わえるフルコースト〇ポです。
うっひょ~コマツ~!今回はグルメ暴力を獲りに行くぞ!
待ってくださいよトリコさーん!
思い出しただけで最高すぎるから、思考が遠くに行っちゃったな。

とにかく、暴力描写がすごい!
ヤのつく自由業の方が出てくるので、殺人がまずある。
拷問シーンもある。
序盤から性暴力がある。
子どもへの虐待が示唆されまくっている。
当然のようにチャカが出る。鈍器攻撃もある、火も使う、ペンチも駆けつけてくれた。
ヤクも出る。帯に書くくらいキメるのは重要視されてるから。
マジでキメセク描写だけじゃなくて、ヤクでぽやぽやになってる日常の不穏な平穏描写もいい!!!!!!!!!!!!!!!!

もう、全部じゃん!
私が今まで
「これとかこれとかこれとか、好きな暴力ぜーんぶ入ってるのないかなー!」
「……そんな都合良いのないか。自分で書けってな!」
と思ってたやつ、ぜーーーーーんぶある!

あ~~~~~~~~~~~~~
人生って、最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
みんな、買って読もう!
LOVE……ってなったら、先生に感想も届けよう!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


というのが、ネタバレをギリギリまで抑えた感想です。
ここからの感想にはガッツリネタバレが含まれるので、何も知らずに読みたいよ~!という方はこのまま「飴ヌが大大オススメしてる漫画なんだな」ということだけ覚えて帰って、本屋に駆け込んでコミックス買ってください。

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これは、もの乞う物語だと思う。
——誰かに愛や物、時には生きる目的さえもを乞う姿を巧みに描きだしているのだ。

記事の最初に添えた
『なんにも知らないままのほうが楽しく生きていける』
というのは、攻め・檜のセリフの引用だ。
卑劣な手段を使って陥れ、薬漬けにしてまで身のうちにしまっておきたかった受け・春日部を評して、彼はそう言う。
『春日部という人間は 不運であり 不幸であり 不憫である』
作中のモノローグでもそう書かれる通り、春日部はいわゆるカワイソウな境遇の青年だ。
まず、あらすじの通り、ホストとしてやりたい放題している日々の中でチンピラグループの姫に手を出した報復にリンチされる。反省を示すために、なぜかハメ撮り。家が放火で全焼。職場は飛んだ扱いで戻れない。オマケに流出したハメ撮り動画をネタに輪姦される。
不幸続きで胸焼けしそうである。
ボロボロになったところを幼馴染であるヤクザの檜に助けられ家に転がり込むのだが、ここからが本当の転落の始まりだ。
なぜなら、一連の不幸は檜が春日部を手中に収めるために仕組んだことだったから。
元凶の家について行って、ハイめでたしめでたし! になるわけがない。
しかし春日部自身はその不幸に気が付かないのが、この物語の妙である。
彼は、自分の身に降りかかってくる不幸に鈍感な人物だ。
それは春日部のそれはそれは不幸でカワイソウな生い立ちが関係している。
春日部は、借金を苦に自死した両親が残りの返済に充ててくださいと遺した子どもだ。
それを檜の父――彼もまた、ヤクザだ——が変態オヤジの上司への手土産に連れてきた。
ロクな生活を送れていなかったことはセリフの端々からわかる。
暴力を受けるないし、放置されてきたのだろう。もしくは、その両方か。
その中で彼は親の死肉を「食って」生き延びた。
壮絶である。
しかし同じく子どもだった檜と引き合わされた春日部は被虐待児としては不自然なほどに明るく、物怖じしない様子だった。
春日部は不幸すぎる境遇にこれ以上壊されないために自ら記憶に蓋をしたのだろう。
そして記憶の蓋は彼のこころの痛覚を麻痺させてしまった。
だから、彼は自分が不幸であることにも気が付かないし、その鈍感さがさらなる不幸を呼びこんでいることにも気が付けない。
一方、檜は停滞した日々の中に現れた春日部という歪んだ異物に惹かれていく。
『俺さあ 大人ンなったらこんなふうにさ 毎日楽しく暮らすんだ』
『そんときは檜も一緒な』
『絶対な』
その眩しい笑顔に、壊れた無邪気な欲求に、生かされてしまうほど。
冒頭のセリフの『なんにも知らないままのほうが楽しく生きていける』とは春日部に向けたものだが、檜にとってもそうであるのかもしれない。
彼が子どもながらに思っていたであろう灰色の停滞感を鑑みるに『楽しく』生きていけたかはわからないが、少なくともなにも知らないままの方が普通に生きていけた。
春日部と出会ったことで檜は人を殺し、ヤクザになり、次々と問題を起こして、どんどんと転落していった。

春日部は腐った果実だ。
自分もまわりもじわじわとダメにしてしまう。
そして、果実は腐りおちた時が最も強くかぐわしい匂いを放つのだ。

この愛おしく魅力的な腐った果実がダメにしたのは檜ばかりではない。
春日部は檜以外の様々な人物の運命をかき乱す。
時には生死すら左右してしまう。
作中に名前付きで出てくる人物だと、檜の実父でヤの幹部・柊と監禁生活を送る春日部の世話をする檜の舎弟・陽一だ。
本作はメインの二人に関係するサブキャラクターも非常に魅力的である。
陽一は檜に憧れて極道の世界に入った青年で、素直でやさしくて、そして『アホなところがあいつに似て』いると檜に評されている。
しかし、陽一は決定的に春日部に似ていない。
運が良いのだ。
それは些細な違いのようで大きな違いで、彼の命運を分けた面白い点でもある。
もう一人の柊は、冷酷でワルい生粋のサディストで、この物語の登場人物に無理やり善と悪を割り振るとしたら悪側の人物だ。
私には彼がもう、この世界にいる誰のことも心から愛していないように見えた。
息子の檜にすらそれは例外ではない。
過去に柊に何があったのかは作中描かれてはいない。
しかし、彼はなんらかの瑕を持つ人なのだと思わせる、そういう危うい魅力がある。
かつての柊を描いた物語も読みたい! そう思わずにはいられない。

さて。私は最初に、この作品に対して「もの乞う姿を巧みに描きだしている」というようなことを書いた。
ここで急に言葉の話になるが、「乞う」という単語の意味を改めて書く。
——が、漢字の意味合いの解釈はひとつではないから、これはあくまで私が今引用するある一説として捉えていただきたい。
して、一説には。
「乞う」とは、他者に何かを求めること。欲しがること。
ということだそうである。
作中で登場人物たちは、さまざまなものを乞う。
春日部はわかりやすく金や女や物質を乞うし、陽一は檜からの承認を乞い求めてヤクザの事務所に乗り込んだ。
では、檜が願ったのはずばり春日部からの愛なのか?
それは違うのではないかと、私は読んでいて思った。
単行本のカバー下オマケ漫画のギャグ描写も、私にそれを印象付けさせた。(紙のコミックス買ってカワイイカバー下漫画まで読んでください!)
檜は春日部からの愛や承認を求めていない。
一見、檜はいろいろなもの——生活や尊厳――を春日部から奪ったようにも見える。
しかしながら、彼は春日部が幼いころに願った半ば壊れたような無邪気な願いの言葉を叶え、与えてやりたかっただけなのではないだろうか。
檜は、檜だけは、乞われるままに春日部に与えたかったのだ。
奪われるばかりの不運で不幸で不憫な春日部の人生に、彼の望んだものを与えてやりたかっただけのように見える。
それは、愛であり、エゴである。
しかし与えることで承認を得たいふうでもない檜は、私にはとても純に見えた。
そんな彼が作中乞うたものがあるとすれば、それは春日部に息をするよう、生きるよう望んだことではないだろうか。
檜はどんなにつらい状況下でも春日部に生きるよう乞うたのだ。
『毎日メシが出て 親がいて 幼稚園行って…… 妹だっけ 犬もか』
『どれだけ……時間がかかっても 全部残さず用意してやる』
『楽しく暮らそうぜ 春日部』
『死ぬんじゃねえって 息止めんなよ 頼むよ』
血まみれの体を引きずって、ふたりは終わりきった日々の始まりに向かって、歩いていく。

この作品の起承転結でいう転は凄惨だ。
凄惨な大事件の顛末は、漫画を買って実際に目撃していただきたい。
ただひとつ言えるとすれば、灰皿は無敵ということだ。
そのシーンと、そこに渦巻く感情がたまらなく、たまらなくよかった。
そして転の次は結。エピローグだ。
このエピローグの、ふたりの生活については賛否あるのかもしれない。
万人受けする終わり方ではないかもしれない。
しかし、私は大好きだ。
ここまで話しておいて、最後の結論が「大好き」の三文字なのかという気もするが、もうこう言い表すしかない。
頭からオチまで言うのも、感想としていいのかわからないし。
私を知る方には「私が大好き」でピンとくるものがあるかもしれない。
檜がただひとつ乞うたものの先に待ち受けていた結末が、私はたまらなく好きだった。
ふたりの終わりは、まだ始まったばかりなのだ。

最後に。
「こう」という単語には、「乞う」以外にもうひとつ当てはめられる漢字がある。
それは「請う」だ。
「請う」とは、自分がすることの許可を願うこと。
もうひとつの「乞う」が他者に何かを求めるのに対して、こちらは自分の行動への許しを願っている。
物語のラスト、檜は請う。
愛する気持ちの成した執着を持つことを許してくれと。
プロポーズのようにも、殺意のようにも、どちらにもとれるセリフ。
檜とそれを聞く春日部。ふたりの表情。
穏やかでゆるやかな終わりを感じさせる最終ページに至るまでの一連の流れを、みなさんにも噛みしめてほしいです。

これはもの乞う物語だったから、いち読者である私も、読者が増えることを乞い願ってしまいました。

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