先回りしていく思考に囚われる
ずっと私は、「その先のあるもの」を探していた。
小さな頃から先回りして、
その先のあるものを見続けていたことに気がついたのです。
6歳のときに、父が急逝し、
実家は、母と私たち四人の子供だけになった。
母は専業主婦から、突然、幼き子供をかかえ、仕事を始めた。
生活保護を受けながらも、
母はキャリアがない分、自転車操業のように働き続ける
そんな母をみて、
「お母さんに、迷惑をかけちゃだめ」
なんて、思ってしまうんですよ。
その反動が、「先回りして思考」を作ってしまった。
先回りして、母の負担を減らしたかったのもかもしれません
でもね。ある日気がついたの。
母に頼まれたわけではないのに、
自分の脳が勝手に思考をはじめるんですよ。
「それができたら、いい子に見える」
「いい子」の基準がわからなくて、無意識にこれが最良と思う。
本当、これに気がついてびっくりでした。
先回りの思考の行方
私は、この先回り思考から、気がついたら他者目線になっているところが多かったの。
その恩恵は、こんな形で露出してきました。
リーダーシップや気づきの力につながっていく。
他の人の立場や視点に敏感になるので、初対面の人とでも難なく話し込みができて、気がついたらチームで何かを任されることも多くなりました。
先回りで、アイデアや提案が歓迎されて喜ばれて、次第に私はポジティブな雰囲気を作り出すことに高揚感がでてきたことも。
だけどね。
これ、しんどくなってきていることに気がつかないようになったの。
何が起きていたのかというと、「自分の主観がなくなっていた」ことに、
ある日、目が覚めてしまったのです。
私の気持ちはどこにいったの?
そんな言葉がいつの日か、出現することになったんだよね。