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初めてのお見送り(素敵なことが起きました)

3月に乗馬クラブに入って、もう3ヶ月たちました。
また、お馬さんのお世話などもさせてもらい、乗馬をする前からお馬さんの部屋掃除・餌やり、馬装、騎乗補助など幅広く学んで乗馬に活かしつつ働いています。

自身に発達障害がある中でも、人のためになることができてうれしいです。

乗馬のレッスンにも少しずつ慣れ、フロントでロッカーの鍵をもらい、ブーツやチャップス、エアバッグベスト、ヘルメットなどを着替えて馬装なども少しずつできるようになり、自信にもなっています。お馬さんとの触れ合いも癒やしになります。

今日は、乗馬のレッスンがあってお手伝いはなかったんですけど、レッスン中、あるお馬さんに『あること』と『素敵なこと』が起きました。

『あること』それは、あるお馬さんに『死期が来た』
ということです。(気持ちの整理も着いていないかもなので、これ以降、支離滅裂な文章になってたら申し訳ないです。)

そのお馬さんは31年生きてきましたが、『老衰のため』ということでした。具体的なことは省きますが、目も見えなくなっていて、耳や触覚などで餌のある場所や水の出る場所を理解し余生馬として生きていましたが、今日のお昼11時ごろ息を引き取ったそうです。

3日前の夕方の餌やりの時間には、ご飯となる草やホースフードなどをまだ食べていたんですけど、もう息を引き取ったとなるとなんとも泣けてきます。

2週間前に
「もう動きたがらないのよ、動こうとしないの、というか動きたくないみたい。だから普段と違ってこのお馬さんには、バケツにお湯を浸してやわらかくして入れてある餌とお水の2つのバケツを口元の下あたりに置いて、真下に餌と水があることを手を触れて教えてあげてね。」とベテランスタッフの人が言ってきてたんです。

そう言われて、夕方、何回か自分1人が餌をそのお馬さんにもあげてたんですけど、そのお馬さんの目元が汚れているのか、ずっと涙を流していたんです。そのお馬さんの真下に、餌の入ってるバケツと水のバケツがあることを教えてあげてるんですけど、お馬さんとの距離感も掴めず、中々場所が伝わらなくて、それでも根気強く教えていると僕自身も悔しくて涙が出てしまって。

「ごめんね、ベテランでもないから伝わりにくいよね。中々場所分からないよね…。ごめんね。」

と、最初は大苦戦しました。

ただ1週間もたつと、お互いに意思疎通が出来てスムーズに食べやすい所へ誘導できるようになりました。

「ご飯食べてる?おっ!きれいに食べてる!あっ、お水も飲んでるね♪偉いね!動きたくないかもしれんけど、食べてくれてありがとね。嬉しいよ~。」

と、毎日毎日ずっと声かけをしてきた…んですけど、本日、逝ってしまったそうです。


乗馬レッスン後に、息を引き取ったことをスタッフから知り、ブーツやチャップスを履いたまま、そのお馬さんの部屋に向かいました。
そのお馬さんの部屋には、中が見えないよう毛布がかけてありました。

僕はその場で、手を合わせました。

その後
「31年も生きてたら大往生だよ。スゴイよね。それと、あんまり心配し過ぎないでね。こういうことはあるものだから。」とベテランスタッフの人から励ましてもらいました。

そう言われても、気持ちの整理もつけず、けっこうしんみりした気持ちが続いてしまい…。

意味もなく広い馬場をボーッと眺めたり、他のお馬さんの餌を食べてるのを見たりして、ようやくフロントへ戻ってきました。

「akiですけど、着替えたいので預けてるロッカーの鍵もらえますか?」

「ロッカーの番号は覚えてますか?」

「え~…。(しんみりし過ぎて完全に忘れてしまったぞ)すみません、えー何番だったか…。」

「あっ、akiさんですね、こちらでお調べます。」

2分後。

「akiさん!お待たせしました~!!Thank you!のありがとう!の番号39!『39番』でしたね♪」

この番号を言われて、僕は心がゾワッとしました。

今日レッスンに来て、最初にロッカーの鍵を受け取った時、本当に『39番』だったかな…???

頭パニックな状態でしたけど着替えがすんで、鍵をフロントへ返す時、鍵を貰ったスタッフに一連の流れを説明すると、そのスタッフも驚かれてて
「えっ??私、鍵をakiさんに渡す時、Thank you!とか、ありがとう!みたいなこと言いました?言ったんなら、それ無意識に言ってましたよ♪私も、そのお馬さんが息を引き取ったのたった今知りましたし。もしかしてそのお馬さんの気持ちが憑依したのかな?」

って言われて
「あっスタッフの言う通りかもなぁ~。」と思いました。

そのスタッフから
「私も動物を何十年も飼って、寿命を迎えて死んじゃったりした時とか不思議なことがよく起こりますよ。動物を相手に生活することって、『死』は必ずありますけど、かけがえのない『素敵なこと』も体験できるから、良いですよね。偶然起こったことでも、それはもう必然になりますから。」と言われ、僕は感心し感動しました。

僕がやってきたこと、それが、今日息を引き取ったそのお馬さんの役に立ってた、そして最期の最後に『39』という番号でお礼(偶然にしては出来過ぎてるから、余計に「ありがとう!」と言われてる気がします。)までしてくれたという本当に『素敵なこと』が起こりました。

巡り会わせで、そのお馬さんが生まれ変わったらまた、近くでお世話できると嬉しいです。

『あること』で悲しく沈んでましたが、
『素敵なこと』で嬉しくなりました。


そして、こちらこそ「いろいろ学ばせてくれてありがとう。」と言いたいです。

「本当に、ありがとう。」です。

これからも、日々、人や動物と触れ合っていくから『死』ということには直面するかもしれないですが、『死は新たな蘇生するための準備期間』なのかなと僕は考えています。
『死=永遠の別れ』ではないと思います。

そして、また巡り会ったら
「その時は、またよろしく♪」と言って接していきたいです。生きることも嬉しい、そして死ぬことも希望があって嬉しい。

だから、やっぱり『生も歓喜、死も歓喜』なのかなって感じます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

aki

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