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お金を出しただけで育児をしたといえるのか問題

…というテーマは定期的にX(Twitter)を賑やかにする。炎上と喧嘩はXの華というので、おおいに結構。ちなみに私はこの問いに関してはNOだと思ってます(笑)

この論争(?)を見かける度に、思い出すことがあるので、今日はその話を書こうと思いまーす。


子供の時の疑問:日本人の国際貢献問題

私が子供のころ。たぶん中学生くらい。「日本は国際社会において、お金は他国より多く出すけど、人は全然出さないので、国際貢献度が低い」という話を聞きいた記憶があります。不確かな情報で、スイマセン。

この話を聞いた時に「お金を出すのも立派な国際貢献じゃん。そのお金があれば出来るようになることがたくさんあるんだから。」と憤った記憶があります。まだ税金も払ってないのに(苦笑)。

このことを「浅はかだったな」と思い直すようになったのは子育て中でした。

子育て中の思い出:お金の使い道がない!

思い出すのはふたり目の子が産まれた直後。義両親からお祝いのお金を頂きました。嬉しくないわけでは全くないのですが、このお祝い金によって「お祝い金を何に使ったのか報告する」という義務(?)が発生してしまいました。(いや、夫が両親に報告したがったのだと思う。親思いですね。)

さて困った。

2歳のイヤイヤ期真っ盛りの上の子と、産まれたての下の子のお世話で、てんやわんやの我が家には、お金で解決できる問題がひとつもない!

必要なのは、ただただ人手のみ

お金を何かに使う余力がない!

※オムツ買った、とかでも、いいなら良かったけど…なにか価値ある使い方をしたって話を報告したかったみたい。


お金を使うのにもコストはかかる

よく、「お金があれば家事や育児を外注できる。」という意見を見かけますが、これは正しくはあるのだけど、ちょっと注意が必要。

家事や育児を外注するためには、かなりの初期コストが必要なのです。

外注するためには…

➀ 信頼できる業者を探し出し、
② サービス内容が自分たちのニーズと合致しているかを調査し、
③ 必要になる費用が自分たちの経済力で賄えるかを検討し、
④ 実際に業者さんに連絡を取り契約を結ぶ

というステップが必要です。ちなみに、④で業者さんに違和感を覚えたら、やり直し。結構大変なのが②で、子育て関係のサービスは子供が病気の時は対応できないとか、病児保育可能でも、病院の診断書がないと利用できないとか、順番待ちが必要だとか、結構制約がきつい。あと、こちらは緊急時にそのサービスを使いたいのだけど、定期利用しないといけなくて断念、とか、まだまだ日本では家事育児の外注が一般的ではないので、自分に合うサービスを見つけるのは大変です。そもそも①もなかなかの難所で、色々調べてるうちに悪徳サービスの情報ばっかり気になっちゃって、結局「もう他人には頼れない!」モードになっちゃうことも。

多くの人にとっては、育児サービス業界の業界知識もなく、仕事と違って、どこに発注かければいいか相談できる先輩もいなかったりするので、これを産後の頭でやるのはかなりシンドいと思います。
※なので、家事育児を外注するかも、という人は、第一子妊娠中にある程度は調査しておくことをオススメします。

お金って使うのも大変だよなぁ

なんでも柔軟に、困ったときには助けてくれる“仲間”がいてくれるのが1番だよなぁ

とつくづく思いました。

この時、ふと「お金は出すけど、人は全然出さない」ことの意味を理解できたと思います。

結論:ちょっとでもいいから手も出そう

というわけで、お金だけではなく、育児はちょっとでもいいから手も出した方がいいと思います。家族の為に、お金稼ぎ続けるのも大変だと思いますけど。

そもそも、仕事においても「お金だけ出す人」って、ただの「スポンサー」とか「お客さん」ですよね。「ビジネスパートナー」だったり「仲間」になって協業するときって、お金だけじゃなくて人手も出します…よね?

サラリーマンもそうですよね。会社って社員に「お金出すから成果よろ!」で終わりじゃないですよね。それこそ経営者は頭を振り絞って戦略を立てているし、社員にビジネス環境を整えてくれたり、フィールドバックをくれたり(「コイツのフィードバックはいらん」ということもあるけど)、並走(という名の迷走)してくれたり。

なので「お金出せばいいんでしょ」マインドでは、子育ての仲間という感じにはならないのかなあと。それは「お客さん」ですね。お金が出せなくなったら「契約終了」です。

もちろん結果的に、キレイに分業ができる家庭もあるだろうけれど、いざという時は助け合おう!という気持ちが大切だと思います。仕事で疲れてたら、無理しなくていいと思いますけど。何事も気持ちよ、気持ち。

オマケ:お金以外を求められてるうちが華かも

そんなわけで、誰かに対して「最低限」できることが「お金を出すこと」だと思ってます。

震災時も、どんなに手を出したくても、スキルも経験もなければ、寄付金を送ることしかできない。現地でお金を差配してくださっている方の安否を願いながら。

そう思うと、お金「以外」を求められているうちが華なのかもしれませんね。

「なにもやらなくていいから。お金だけちょうだい。」

と言われるようになったら、それはもう、そんな感じの人間関係なんだと言うことで。

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