余命、知りたい?知りたくない?
こねこです。
首題の通り、皆さんは自分の余命を知りたいですか。
それとも知りたくないですか。
私は知りたいです。
尺の長さがわかれば、自分の人生の風呂敷をどれだけ広げ、畳むのにどれほど時間がかかるのかを逆算することができるから。
感動も奇跡も何もなくなるじゃないか、という反論。受け付けます笑笑
でも、余命を知ったところで、どうやって死ぬのかというのはそれまでの自分の選択肢によって変わると思うのです。つまり、デッドラインは変わらないけれど感動的になるかどうかはその人次第ということ。
だとすれば、現状とそんなに変わらないという気がしませんか。
明日死ぬかどうかもわからないから一瞬一瞬を大切にする。
それが現状で、それこそが生でしょう。
ですが、本当にそれを実践している人は一体どれだけいるのでしょう。
結局、制限をかけられたら反抗してみたくなって反抗しているだけのようにも思います。
まあ、こんな議論したところで、そんな技術、現在はありませんけどね。
気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。