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困難に立ち向かう

 困難に立ち向かうにはどうすればいいか。これは人類が古来よりずっと考えてきた問題とも言えるでしょう。

 宗教は困難に立ち向かうための一つの方法です。神を信じてそれを拠り所とし、奮い立つ。だって、神はその人に超えられる試練しか与えないから。そうやって信者は困難を乗り越えていきます。

 しかし、私のような特定の宗教を信じていない人はどうすればいいのか。これは己を信じるしかないんですよね。神を信じられない?のであれば己の中に神的なものを見出すしかない。

かつての日本人は天皇を神格化することにより(古事記参照)、心の拠り所としてきたわけですが、神道と政治の癒着が強くなりすぎて戦争を引き起こしたため、天皇を神格化することをGHQの命令によりやめることになりました(政教分離)。こうして天皇はただの日本国の象徴となったわけですが、その結果何が残ったのか。三島由紀夫の言葉を借りるなら「骨抜き」になってしまった日本と日本国民が残りました。

そう、天皇を長らく信じてきた日本は信じるものを失い、骨抜きになってしまったんです。国語の授業で古事記を詳しくやらない私たちは日本の成り立ちすら曖昧な状態で大人になっていく。

この現状を憂いた坂口安吾は『堕落論』を書いて、天皇ではなく自分に心の拠り所を見つけなさいと説きました。

 結局、困難というのは誰かが解決してくれるものではありません。そもそも困難に感じるかどうかはその人の主観的価値観によって判断されるものですから、自分にとっては困難でも他人にとっては大した問題ではないかもしれません。その逆も然りです。

困難は自分一人で立ち向かっていくもの。自分の内面を省みて自分の信念を見つけること。そうすれば自ずと困難に立ち向かうことができます。

 と、言っても私もまだ二十歳の小娘ですからそんなことはできておりません。私のやり方としては、①なんでもとりあえずポジティブに受け止める②どうにかして現状を打破する方法はないか考える③それでも行き詰まったら近しい人に相談する。この3つです笑笑

早く私も自分なりの信念見つけたいですねえ。そうすれば、こんな3つの方法を取らなくて済むわけですから。

気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。