見出し画像

遊びは学び

いつまで遊んでるの!遊んでないで勉強しなさい!

わりと良く聞く文言ではないでしょうか。言われたことがある人もこの記事を読んでいる人の中にはいらっしゃることでしょう。

 「遊び」という言葉には特定の文脈においてネガティブなイメージが付き纏っており、大切な意味が失われかけている気がします。その大切な意味とは「遊び=学び」です。

そう思うようになったそもそものきっかけは「遊学」という言葉を明治の文豪辺りが使っているのを目にした時です(どこで見たのかは忘れました)。現在では留学と言われることが多いですが、かつては遊学という言葉も使われていた印象です。昔使われていたということはこの「遊」の字には何か学ぶといった意味があるはずだ!と思い、検索しました。その結果がこちら。

【遊】
①あそぶ。楽しむ。「遊興」「遊芸」 ②勉学などのために他国へ行く。旅をする。「遊学」「漫遊」 ③自由に動きまわる。「遊軍」「遊星」 ④使われずにいる。「遊休」「遊民」 ⑤つきあう。「交遊」 ⑥あそび。ゆとり。よゆう。 (漢字ペディアより)

 ②にあるようにちゃんと学ぶという意味があるんですよね。まあ、ここでは他国へ行くとか旅をするってあるわけですが、これの意味するところは机に向き合っているだけが学習を意味するわけではないということだと私は解釈しています。

実際に見て、聞いて、体験する、それらも立派な学びなのです。

 ちなみに、敢えて私は勉強という言葉を使っていません。なぜか。勉強という言葉には学問に励むという意味もありますが、元々は無理してやるという意味だからです。

【勉強】
1.《名・ス他自》無理にでも(=強)努力して励むこと。
2.仕事に精を出すこと。 (google検索結果より)

勉強という言葉は中国語由来のようで、中国語では現在も無理を強いるといった意味があるようです(中国語堪能な方、本当ですか?一度台湾人に聞いたら本当だと言っていましたが……)。

ということは、気ままに動いて学んでいく「遊び」と無理やりやらされる「勉強」は相容れない存在ということになりませんか?それで、私は一緒に使いたくなかったのです。

 長々と語ってしまいましたが、言いたいことはタイトル通り遊び=学びです。最近は子どもに遊ばせず、塾やら稽古を付けさせる親が多いみたいですが、子どもがそれを望んでいない限りそれは勉強の域を出ません。本当に学びたいことは自ら進んで掴んでいくものです。やっぱり、子どもには遊ばせて興味があるものは何かを見定める方が良い教育ではないのかなと思うこの頃です。

気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。