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パセティック

こんにちは、こねこです。
思いついた瞬間に日記代わりにnoteを書いているので不定期更新になってしまっています。。。
自己満足文章です。。。

さて、今日は急に泣きたくなった出来事についてお話ししようと思います。

「急に泣きたくなる」で以前検索した際、「うつ病」がヒットしました。
でも、私が探している言葉はそれじゃない。それはわかる。
でも、何かはわからない。
でも、知りたい。だから、また言葉を変えて検索する。
そんなことをずっとやっていた時期がありました。
お蔭様でスマホに表示される広告が病院系になっていたのは笑えました。

その後、そんな時期は脱したのですが、昨夜のこと。

私が夕食後に皿洗いをしていると父親から話し掛けられました。
内容はどうでもいいことなのですが、端的に言えば「俺すごい」です。
俺は今でも他社からヘッドハンティングされるほどの人材だとか俺は後輩に慕われているだとか、大体そんな話。
それを聞きながら、私は泣きたくて泣きたくて仕様がありませんでした。
勿論、我慢しましたが。

ちょうど一昨日、IOCのバッハ会長の経歴を見て
いかに自分が凡庸で、退屈で、下らなくて、
wikipediaの紹介文だって3行書けば十分説明できてしまう人生を歩んできたということを知って、わかっていたこととはいえ、虚しくなっていました。
そこに追い討ちをかけるように、父親の凡庸さが露呈。
凡庸は凡庸らしく、同じ社会階級を往来していると思うと悲しくて悲しくて。

多分、以前の私が急に泣きたくなったのもこれが要因だったのでしょう。
自分のつまらなさに絶望していたのです。ふとした瞬間に。
例えば、スマートフォン新発売の宣伝を見かけた時。
例えば、誰かがノーベル賞を受賞した時。
例えば、教科書の隅に書かれた戦時中敵国の海軍らを救った旧日本帝国軍の話を読んだ時。

「お前なんていてもいなくても世界に影響はないんだよ」
と風にそっと耳寄せて吹き込まれている気がするのです。唐突に。

それで、泣きそうになったら
「冗談じゃないか」
とでも言うように、友人たちから「いつ会えるの?」と連絡が来る。

凡庸だとショックを受けるのは、私が少しでも凡庸じゃないかもしれないという期待を抱いていたからです。浅ましい。
でも、それが人間なんだと思います。
特に、私は「父親」の娘ですから、遺伝子的にそれをやってしまいがち。
まだ、世界が真実を時々思い起こさせてくれるだけ、私はマシなのかもしれません。

その代償がパセティックな考え方というだけ。

気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。