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ベトナムへのインターンは「見習い」でなく『本番』

すでに現在の大学三年生の就職戦線が始まろうとしている。
大手企業中心のインターン活用が活況を呈している。
負けじと、中小企業もインターンに取り組むが、実際に実現するケースは少ない。
昨今の記事などを見ていると、今の国内インターンは企業から過保護な環境を与えられる。
まさに甘やかしの温床といわざるを得ない。
もちろん、国内インターンのメリットを完全に否定するわけではない。
しかし、若者にこそ、単なる就職活動ではなく、未来につながるように、日本の置かれている現実を若いうちから体験してもらわないと…。
こんなことを憂えているのは私だけなのだろうか?

ずばり、海外における体験こそ、今の若者に最も必要なことだと考えている。
今の日本の若者の国内への引きこもり傾向を憂える人々は日増しに増えている。
たとえば、高校生の海外留学生の数を見ても、ここ10年以上ずっと減少傾向にある。
日本は、人口が急激に減少していく国である。
国外に目を向け行動をはじめないと間に合わない。
ようやく政府も相当な危機意識を持って様々な改善施策を打ち出しつつある。
先を見れば、悲観的な予測ばかりの今日この頃、私自身も企業活動をする立場として、四六時中、「自分たちにできることは何か?」を自問している。
一方で、日本国内に長年住んでいると、国内に留まりたくなる若者の気持ちがわからないでもない。
今の日本国内は居心地の良い温室だと思う。
わざわざ、無理と苦労をして荒波の海外、特に未開の地ともいえるアジアになんか出たくないだろう。
自分自身、すでに10年以上、業務の半分ほどが海外での活動に占められているが、日本に帰るたびに「日本は平和な国」だと痛感する。
きれいな街並み、便利な社会、どこでもいつでも買える食料品。
レジャーにしてももう十分すぎる。
こんな場所は世界にほとんどないだろう。
良い意味でも悪い意味でも先進国過ぎるのだ。
いつまでも続くと錯覚するのは無理はない。
しかし、現実は違う。
心地よいのは表面上のことであり、現実の日本はすでに崖っぷちに追い込まれている。
何も手を打たなければ、悲惨な未来が待っているといっても過言ではない。
国も、会社も、国民もそれぞれ幸せな未来は訪れない。

急速に忍び寄る危機に対する認識は一部の人たちは常識的に気づいている。
足元では国力衰退の危機が広がり始めている。
人口減から来る消費者の減少、労働力不足など先行き不安要素は沢山ある。
最近ようやくビジネス界でも話題になりだしたが、この先消滅の危機にある地方都市も問題として、 深刻だ。
今のままだと、日本の社会も経済も悲観的な話しか出てこない。

もちろん、明るい兆しもある。
現状打破を目指して、マーケット獲得のために外に出ていく企業が日増しに増えている。
また、観光立国を目指した海外からの観光客誘致は2020年までに倍増計画が策定されている。
さらに、建設現場の労働者に代表されるが、低賃金労働力を海外に求めて、国も企業も血眼の様相を呈している。
いやが応なしに、日本にはグローバル化の波が押し寄せているのである。

「10年もすれば、日本の学生が就職先として、アジアの現地のローカル企業に就職する時代が来る」

10年以上も前からこんなことを学生に向けて話をしていた。
最近、それが確信に変わってきた。
当社のベトナム法人では、インターンを受け入れて10年近くになる。
すでに、延べで50名に達する若者が当社のベトナムオフィスでインターンを経験した。
残念ながら、現地適応できずに、着任早々にリタイアしたものも少しはいるが、ほとんどの若者が、得難い経験をし、帰国の頃には、別人のように逞しくなって帰っていく。
期間は最短で1週間の人もいたが、長い人は半年以上。
長期になると『学校は大丈夫か?』と心配にもなる。
しかし、日本にいて授業をサボるよりはよっぽど将来のためになるだろう。

『会社は社会の入り口である』

これは創業時から学生に対しての私のメッセージだ。
今でも当時のまま話をするが、「社会」の意味が劇的に変わってきた20年だと実感する。
20年前の社会は国内のことしかなかった。
社会の意味する範囲が、国内から世界に広がったのである。
そもそも、日本の大学は先進国の中でも最低レベルと批評されるほど、世界標準から見れば、存在価値が低下している。
だから、国内でインターンとして働く経験をし、実社会とのかい離に気づくだけでも意味はある。
しかし、国内で体験できるインターンよりも海外でのインターン経験がはるかに刺激的だし価値がある。
まして、新興国のベトナムとなると、国内のそれに比べて少なくとも10倍、いや人によっては100倍の衝撃的な体験をするだろう。

今回は、現地で大活躍してくれた3人のインターンを紹介しながら、当社での今のインターン活用の考えや今後について、皆さんに説明したい。
沢山の後継者が続くことを願いながら。

まず、石谷さんは、大阪経済法科大学の学生。
幹部社員の繋がりから彼のインターンが決定した。
主たる活動は、現地のベトナム企業に対しての営業活動だ。
今や当社の恒例となったが通訳は同行しない。
かといって英語が十分に話せるわけではなかった。
飛び込みも含めて、ベトナム企業を懸命に訪問の日々。
活動テーマは本人の希望を尊重するようにしている。
石谷さんは「営業」がテーマだった。
4ヶ月のインターン期間だったが、後半には月4000ドルの営業受注も達成した。
何よりも彼の良いところは、謙虚で努力家であるところ。
そういう態度がベトナム人経営者から信頼を得たのである。
日本人の勤勉を代表する人物といえる。

川上さんは私の知人のご子息。
ベトナムに入る前はフィリピンで語学留学を経験してきた。
最初会った時の印象は将来の選択に迷いがちなメンタル的に少し弱そうな印象だった。
しかし、彼は良い意味で予想を見事に裏切った。
料理人になることが将来の夢とのことで、当社が運営する日本式焼き肉店と日本式屋台村の調理場を担当してもらった。
川上さんは、タフになったというより、厳しい環境に適応する能力が高かったと思う。
今は、大学(早稲田大学)に戻っている。
どんな社会人になることか、本当に楽しみだ。

難波さんは、ベンチャー系大手企業に内定が決まっていた。
海外産業人材育成協会の制度から当社のインターンに参加した。
とても品がよく、育ちの良さを感じる今風の学生だった。
今も印象に残っているが、難波さんのお母さんのレシピによるから揚げが、日本式屋台村の定番メニューとなった。
どことなく、現代っ子的な味付けだったが、これがベトナム人の舌によく合った。
難波さんの素晴らしいところは、人としての態度、立ち居振る舞い。
私も彼と何回か食事したが、中途半端な社会人よりよっぽど立派だ。

皆、個性豊かで将来楽しみな面々ばかり。
いつかまた、巡り合って何か一緒にできたらと切に思う。

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未熟者が実社会で学ぶという構図になりがちな日本のインターンとは決定的に違うところがある。
それは、学生であっても、現地の実社会では『本番』(大袈裟にいえば、プロ意識を持つ)として通用することが多いという点。
それと、商売がシンプルであること。
顧客の奪い合いのビジネスではない。
日本のように理不尽なクレーマーはいない。
かといって、顧客が満足しているわけではない。
いわば、日本の戦後復興の時期に近い感覚が商売にある。
つまり、商売の原点がそこにある。
こんな体験はできるだけ若いうちからするとよい。
そして、次にすることは、日本の今ではなく、日本の昔を学ぶこと。
たとえば、今はほとんどなくなったが、ハエ取り紙ビジネスの変遷を知るとか、体に悪かろうが無規制の農薬を使いまくっていた40年前ぐらいの日本の農業の実態と農家の性を学ぶなど。
大学で学ぶことも無駄とは言わないが、自分で社会に出るための勉強など大学に行かなくてもいくらでもできるのである。

当社は、ベトナムや東南アジアでのインターンはどんどん門戸を広げていく考えである。
ご期待ください。

(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2014年7月22日に投稿したものです。)



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