見出し画像

知らんけどを知っていく(訓練)

 本日晴天なり、起床時、身体がカチコチで動けない。
一昨日夜明けまで東京の西を自転車で走ったせいだろか、一日開けて来てくれて助かったが老いの証だろう。
ただ遅れて来てくれてこういう風に助かる事もあるのだと知る。老いの僥倖か大袈裟過ぎるか。

とはいえ結局いつもと同じぐらいの睡眠時間だが熟睡した気がする。たまにはこういう事で有り難み感じまだまだいける気がするのもイトオカシかも知れぬ。

ただ昨日は瞬間的にストンと落ちそうになったりしたし今日もなかなかの惚け呆け具合だった。いつものそれより。
まじな話阿佐田哲也さんとかのナルコレプシーというのはまったくもって大変じゃねえかと思った。
相変わらず思った、何々かも知れない、ばかりでもっとええリフ挟めんのかと思ったかも知れない。

これに知らんけどが入ってくるといよいよだ。
何の為に記しているのかはずっと分からねどもではある。

この“知らんけど”というワードが少し前から一部で流行っていると聞いてザワザワとした。
散々これに関して専門家が目をつけ研究及びおぢ達も居酒屋で論じたがると思う私ももろ後者。

ワンチャン、世界の本塁打王ではない。今の時代であれば去年の大リーグのショウチャンであろう。ザワではなくタニ。
もといワンチャンも初めて聞いた時違和感があったがこの“知らんけど”というのは捻くれ者としてはかなり思うところがある。

先ずなんでちょっと上方言葉のニュアンスなんだろう。
これはワンチャンを連発していた後輩(ワンチャンってOne chanceだとしたらそんな一生のお願いみたいに何回も訪れるのか。)関東の生まれ育ちにも関わらずワードって感じで上方の訛り言葉を会話の節々に入れていた。
ここから多分それがトレンドだったのだと思う。

ちなみにこの“知らんけど”に対して私が違和感抱いた使われ方というのは自分の意見や話、多分特に見解を述べ最後に“知らんけど”と添えるそれである。
そうする事で濁す及び御破算気味にして印象だけ残して責任は持たないというニュアンス。
伝えたい事は伝える手法といったところだろうか。
だので、多分、前のトレンデードラマだと、「よくは知らんけどお前を愛しているよ。」という時代から今の恋愛漫画は恐らく「あなたを愛しているよ。知らんけど。」と使われるのではと推測する。全然意味合い違ってくる。

そして次にこれが流行っている要因ではないかと私がめぐらせるのは自己責任基盤が主流の影響ではないかと思う。

おかしいやないか。自己責任やったらそんな知らんけど知らんけど言わんでも自分の思う事を述べて知ったフリしろ。
ひいばじるし、マイ嫉妬イズフレッシュフレッシュ産地超クソフロウに輸送(元:人間発電所/BUDDHA BRANDより変え打って拝借)
でその話を聞いた奴が自己責任取ればいいとなる筈やないかではあるのだがそこが捻れていて自己責任、自己責任と言われ過ぎて自分が責任をとる事から逃げたいと思ってしまうのではないだろうか。

そもそも自己責任と言ってる方の多くは自分は他人の事に責任を持ちたくない気持ちから来るのではないだろうか。
だからこそ他人が転けた時に自己責任だから助けん。という発想だろう。
自己責任だけどもヨワキヲ助けてツヨキを挫くという思想の方は少数ではないかと思う。

そういう私もお気付きのように語尾がフニャヒニャっとなっている。
これこそ知らんけどの前の世代、段階だと思う。断言出来ないのは知識不足、自信が持てない即ち怒られないように行き道を探す人生だったからだろう。

先ずは自分からである。自分からいかねば、自分に引け目があるからこそ私の場合尚更その言葉に引っかかるのだ私はこれに関しては知っている。

『フルコースのレディオ』というラジオ番組をYouTubeで配信しております。

今までは基本的に毎週木曜日0時配信を予定してました。
次週からは金曜配信かも知れません。
バイト先のシフトの関係です。知らんがな。

ご慈悲とお力添えを承りたい所存です。どうぞよろしく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?