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同窓会の存在を知らない人は大多数?

ある時、『三田会(慶應義塾の同窓会組織)ってのが、存在するんですね~驚きました』との話になった。
どうも、私自身が『慶應義塾の人脈は当然』みたいな固定観念にとらわれていたことを気づかされ、新鮮だった。
話をした方は実家も今の住まいも関西で、大手とはいえない芸術系の大学を出たそうだから、三田会を不思議に思うのは当然だ。今さら、OB会や同窓会の存在に頼らずに生きる人のほうが多いことを、再認識させられた。

固定観念にとらわれていたくせに、私自身は母校の校友会を当てにしたこともなかったし、仕事の紹介を受けた覚えもない。たまたま同窓だったから意気投合したりは、何度もあったけど、組織的なサポートではなかった。
そもそも我が母校は、○○出身だから!という習慣がない。
そんな学風は誇りでもあるんだけど、いざ学閥的な営業やら互助の強みに押されると、なんとなく寂しさを感じてしまう。

おそらく、同窓どうしのサポートの強さもまた、学校の難易度に反映されてきたのだろう。
その代わり、三田会などでは、しっかり寄付依頼が定期的に届くそうで、それなり額を母校に収めているという。東京勤務の社会人としてOBOG訪問会に帰るたびに交通費をいただいていた私とは、大違いだ。(もちろん、校友会報には寄付用の振込用紙がついてくるのですが、押しの強いものではないです)

今さらゴチャゴチャ言っても仕方がない。
18歳の自分が、同窓支援などに頭がいっていなかったのだから、それでいい。

むしろ、縁故者のサポートを受けられるのが当然と思ってしまうなら、危険なことだ。
とりあえず仕事があるな~で甘えてしまい、それこそ歳を重ねるごとに、所属や縁故の外の世間がわからなくなってしまうかもしれない。
ご縁ではなく、しがらみの絆になってしまっては、キャリア選択の自由もなにもない。

・・・それにしても私は営業が下手だ。

色々と助けてもらってはいるのだが、それでも足りないと思う時がある。
足りないと思うこと自体が強欲であり煩悩だとわかっているから、あまり口にしなかったけど、面白い事をやるにしても、同窓同郷のつながりは心強い。たとえ、しがらみの絆になる恐れがあったとしても。

そう思うと、私の地元はどうも面白い人が多い。
あとで聞くと、小中高のどれかが同じだったりとか、同じでなくとも今住んでいらっしゃるとか、今さらに出身地に感謝するものだ。高校までは公立というのに、実にありがたい。

誰しもが、気づかぬところで、得をしているはずだ。

※今後も、よほどのお叱りでもない限り、「現代の絆?」シリーズを載せていきます。

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SDGs的なことを書いていると思いきや、情報社会関連、大学でも教えているボランティア活動などを書き連ねます。斜め視点な政治経済文化評論も書…

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