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釈尊・龍樹・日本の高僧


開祖以前に遡らない?日本の仏教

 以前、ある日本のお坊さまとお話しした時、「日本のお坊さんの多くは、開祖以前に意識が遡らない」ということをうかがいました。
 たしかに、日本の宗派の多くは修行法でわかれていて、元々仏さまをまつる本堂よりも、開祖をおまつりする祖師堂や大師堂の方が、はるかに立派で大きかったりします。
 おまけに、大乗経典はお釈迦さまの教えではないという説や、宗教=教義に従うものという西洋の一神教をモデルとした宗教観がはいってきて、諸宗派の教えは、名前は同じ仏教でも、実際は別々の教義の別々の教えと見なされるようになってしまいました。

私がお伝えしようとしてきたこと

 以前、東京の慈母会館で勉強会をしていた時も、
 弘法大師の『秘蔵宝鑰』の勉強会(その内容が『空海に学ぶ仏教入門』になりました)のあと、浄土七祖の教えを踏まえて『歎異抄』の話をしようとした時、いろいろな人から、やめた方がいい、これまで出ていた人には興味がなく、参加者が減ってしまう、とご意見をいただきました(こちらはその後もさまざま試行錯誤して、ようやく論文「『歎異抄』を浄土信仰の流れに位置づける」にまとめることができました)。

 チベットにも宗派の違いはあり、宗派によっては、一時、仲が悪かったこともありましたが、教えや実践の内容はほぼ共通していて、宗派の違いは、日本のお茶やお花の流派の違いのようなものだったりします。

 運営的には、参加されている方の関心に合わせた方がよかったのかもしれませんが、
 私自身、学者としては、日本の文化や宗教の研究を中心にしていて、行き詰まった時に、たまたまチベットの先生から教えを受ける機会をいただき、日本の高僧方も、リンポチェと同じことを話されている!と日本仏教の教えがわかるようになった変わり種です。

 弘法大師が説かれたのも、道元禅師が説かれたのも、親鸞聖人が説かれたのも、同じ山の山頂をめざすそれぞれの登山道なのだ、というのは、ユーザー、消費者目線で言えば、参加者の関心ないこと、喜ばれないことだったかもしれませんが、
 弘法大師の勉強会で人が集まったから、空海一本で行くのではなく、
 私としては、一人でも二人でも、興味を持たれた方がいらっしゃったら、これからも私の理解し得たことをシェアできたら、と願っています。

釈尊・龍樹・日本の高僧ー受け継がれた仏教の核心

 コロナ禍で神戸市大倉山の安養寺でおこなっていた勉強会が出来なくなってしまった時、Zoomを使っておこなった連続勉強会のひとつ「ナーガールジュナ(龍樹)と日本の高僧たち」は、そのことをお伝えしようと思ったものです。

 昨年、日本仏教鑽仰会でお話しさせていただいた「求道とは何か、空海、道元、親鸞をみつめて」は、そのエッセンスです。

  現在、東京代々木からの配信講座でおこなっている連続講座「伝統仏教を学ぶ」も、そのテーマを扱っています。1回目はすでに終わってしまいましたが、古代インドのナーガールジュナ(龍樹)の仏教理解を介することで、弘法大師や道元禅師や親鸞聖人の教えが釈尊の教えとどうつながっているかをお話ししていく予定です。4月はオーガニックライフTOKYOやその関連イベントがある関係でおやすみで、次回は5月18日の予定です(曜日は5月以降、土曜日に変更になります)。

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