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劇作家・紺野優のセブンルール

はいー(笑) ということでいきなり始めました謎のコーナー!
輝く女性が活躍する「セブンルール」という番組が好き過ぎて、もし自分が出演出来たら(男なので絶対無理ですが……)、番組制作者に一体何を語るんだろう? と妄想して考えた私のセブンルールを勝手に(←ここ重要)紹介していきたいと思います(笑)

というのも、会社でイノベーションに関するフレームワークの研修を受けまして、「あ、セブンルールもいわば自分の考えを整理するフレームワークとして使えるかも!」と思い立ったのがきっかけです

今回は、中学2年生から始めた演劇脚本の執筆活動を30代になった今も続けている【職業・劇作家】としての私、紺野優の7つのルールを紹介したいと思います。って、いきなり何始めてんだと言われそうですが、暇な方はどうか私のお時間にしばしお付き合い願います( *´艸`)

RULE1 あえてプロットを書かない

プロットとは、脚本だけでなく小説など、いわゆる創作物を執筆する際に作者がまず用意する、いわば「物語の設計図」のようなものです

登場人物Aがどのような目的で今を生き、途中で出会う仲間Bや仲間Cとどのように交流を深め、どのタイミングで裏切りが発生し、その後、どのタイミングで再度団結するのか......などなど、時系列を追うようにまずは物語の始まりから終わりまでを簡単に書き、そこから肉付けを行います

文字書きさんの中ではこれを魚の骨に例える方も多いです。頭から尻尾(途中、もちろん背骨)まで書いた後、背骨から細かい骨をいくつも書いていく。すべての骨が書けたら肉を足し、話に厚みをつけ、隠すように皮を書く。更にリアリティを追求し鱗を書く。これがプロットです

ですが私は演劇脚本を執筆する際、このプロットを「あえて」書きません。理由は、理由になりませんが、「使わないから」です(笑)
演劇脚本は小説と違って、随所随所に状況説明や心情描写が必要ありません。メインは台詞になります

そんな演劇脚本を執筆する際、実は私はあまり物語の構想を深く考えて書いてません。というよりほぼ何も考えていません。イメージとしては頭の中で勝手に登場人物たちがまさに目の前で劇を演じてくれて、私はそれを書記のごとく文章に記していくだけの作業になります。「本当に?笑」と言われますが、本当に本当です(笑) なのでプロットが必要なく、使うこともないのです

でもそうやって今まで執筆活動を続けてきましたし、そうやって出来上がった作品が日本全国で実際に演劇として上演されているので、これが私の書き方。まさに私なりのルールになっているのです

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RULE2 PCを使わず、必ず原稿用紙に書く

私は演劇脚本の執筆活動は基本「手書き」にこだわっています。いきなりノートPCでカチカチ打ち込む人もいますが、私は(万年筆とまではいきませんが......笑)さらさらと書きやすいインクがよく出るボールペンを使って400字詰め原稿用紙に物語を書き殴っていきます

一時期、PC直接執筆を試みた時期もありましたが挫折しました。ルール1でも紹介したのですが、私の執筆スタイルは、頭の中で登場人物たちが目の前で劇を演じてくれ、それを書記のごとくメモを取るようにつらつらと書き連ねていくようなイメージなのですが、PCだとそれが追い付かなくなってしまうのです。私はこれを、「デジタル化の限界」と呼んでいます

理由は他にもあります。一番大きいのは「校正」の観点です。勿論アナログ資料のままでは、ネットで演劇脚本を公開することが出来ませんので、必ずデジタル化する必要があり、この過程の中で校正作業を行うことが出来るのです

最初からPCで直接執筆を行うと、どうしても校正作業の手を抜いてしまいがちで、不完全な作品を生み出してしまうリスクが高まってしまいます。それを防ぐ最大の方法がやはりアナログからデジタルへの変換作業なのです

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RULE3 自分自身を介入させない

これは演劇脚本を書くときだけでなく、小説を書く際にも気を付けていることですが、物語の中に「絶対に」自分を介入させない、というより介入させてはいけない、絶対に入り込んではいけない、まさに文字書きにとってのタブーだと思っています

――どういうこと?
そんな風に思われるかもしれません。説明します

物語ですので、登場人物たちが出てきますよね。10人居れば10人それぞれに個性があり、当然のごとく考え方もバラバラです。とは言え、それぞれのキャラクターはすべて私の頭の中で生み出されたキャラクターであり、どうしても「偏り」が生まれがちです

読者からすれば「名前はみんな違うけど、性格はみんな同じだよね~」「同一人物みたい~笑」となってしまいがち。これは文字書きとして絶対に避けなくてはいけないのです。そのためにも私はこのルールを徹底します

つまりは、「俺ならこんな時、ああするのにこうするのになぁ」なんて、絶対にそんなことを思って書いてはいけないということ。作中に自分自身の考えが出て良いのは「自伝」を書くときだけ。「創作物」執筆時に自分自身は頭の外に追い出さなくてはいけないのです

でもこれが案外難しいんです……。
とりあえず執筆中は自分を忘れること、もしくは自分自身でなくなること、キャラクターになりきること、そんなことを心掛けています

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RULE4 焦らない、驕らない、ありのまま

要は「Let it go~♪」です!
はい(笑) いきなり失礼しました。真面目に説明します

文字書きあるあるとして一番あるのが「納期に追われる」ということです。ドラマでもよくありますよね、編集が作家に付きっきりで「先生まだですか? 連載間に合いませんよ!」みたいな光景。
とは言えそれはあくまでプロの作家さんの話であり、私のような趣味で書いてるアマチュア作家に納期なんてものは存在しないのですが、でも、時に急いで執筆をしなくてはならない時もあります

例えば演じる劇団に応じた脚色が必要な場合、こういった場合には脚本の採用が決まってから基本的には一週間以内には完成させて、納品する必要があります

また別の場合だと、賞に作品を応募する場合。勿論募集要項に「〇月〇日消印有効」とか「必着」とあるので、それまでに書き終えておかなくてはいけません

となると私も人間なのでフツーに焦ります。でもこの「焦り」こそが禁物です。焦ると当然ながら設定も含め、何もかも雑になりがちで、早く書き上げなくてはという気持ちが、より良い作品を作ろうという気持ちに勝った瞬間、作品は作品でなくなります

(一旦話を変えますね)

また文字書きをしていると、これもあるあるですが、よく「先生」と呼ばれます。私の脚本を採用してくださる学生さん、クラスの担任の先生、演劇部の顧問の先生から「紺野先生!」「紺野先生のおかげで優秀賞が取れました!」等々有難いお言葉を頂くことも多く、また周りのリア友からも「え? 脚本書いてる? 凄い!」等々驚かれることも多いです

勿論嬉しいのでそういう時はアホみたいに喜びます。時には調子にだって乗ります。が、そこで本当に調子に乗ってしまっては、驕ってしまってはいけないのです。文字書きにゴールはありません。ただ白く、果てしなく、永遠に続く原稿用紙に、1本のペンだけを頼りに自分で道を描いていく、孤独な仕事です。満足してまったらそこで道は終わってしまいます

「先生」と言われても、私は私。ただの文字書きです。
逆を言えば私1人では作品を完成させることはできません。演じてくれる学生さんや劇団の演者さんが居てくれるからこそ、初めて作品になるのです。そのことを忘れてしまってはいけない。それこそ作品は作品でなくなる

なので、大事なのは「ありのまま」書く。自分が書きたいように、好きなように書く。本当にそれだけなんです。素直に書くことが、一番の秘訣なのです。紺野優という人間を見てほしいのなら、何も考えずにただ書けば良い。その方がよっぽど人の胸に響くんです

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RULE5 書くときは書く。校正は書き終えてから

さて、突然ですがこんなことはありませんか?
作業を始めて一定の時間が経つと、作業開始前または直後に戻って「間違っていないか」「おかしいところはないか」等々気になって見てしまうこと。ありますよね? 勿論私もあります

が、執筆活動時の振り返りはちょっと危険なのです。
前回のルールでもたびたび説明しましたが、私の執筆スタイルは頭の中のキャラクターたちが目の前で劇を演じてくれ、それを書記のごとく原稿用紙につらつらと書き記していくため、ある意味「STOP」が効きません

頭の中のキャラクターたちに「ちょっと待っててね」とお願いをして、原稿用紙に目をやり、書き出し部分の校正作業を数時間行い、さて執筆を再開しようかと戻ってきた頃には物語(劇)が進行していて、「え? なに? これはどういう場面なの?」「は? どういう展開?」と、完全に置いてけぼりをくらってしまうのです

嘘のような話ですが本当の話です(笑)

が、これはある意味、私の執筆だけに限らずどんな人のどんな作業でも言えることですが、割り切るということ。これが大事だと思うんです。
AをやるときはAだけをやる。BをするときはBだけする。同時にして良いのは呼吸と溜息をつくことぐらいです。え? 瞬きは? ←うるせー(笑)

ともかく私は勢いも大事にしているので、とにかく書くときは書きます。休みの日で、且つ私ひとりきりの時があれば朝から晩まで永遠に書き続ける日だってあります。書くだけ書いて、もうこれ以上書けない。十分書いた。もう後悔はない!ってくらいまで書いたら、初めてそこから校正作業に入ります

もちろん、校正作業をするときも同じです。やることは校正作業、ただひとつだけ。それ以外のことは絶対にしません。気分転換に、文字を書き足そうかな~とか、番外編を書こうかな~とか、そんなことを思っても絶対にせずに、鬼でも校正作業を続けます

中途半端なことをすれば作品も必然的に中途半端な作品になってしまう。それではダメなのです。とにかく繰り返しになりますが、執筆だけじゃない。自分の人生においても一番中途半端がいけない。特に日本人は「YES or NO」が言えない。もうその時点で中途半端なんです。しっかりした意思を持って、しっかりした大人になりたい

とにかく中途半端な人生を送りたくない。
それが私の強い思いです

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RULE6 必ず台詞合わせを行う

ここまでは執筆に関するノウハウを紹介しましたが、今回は執筆後のルールになります

演劇脚本の執筆が終わり、ある程度の校正作業が終わると、最終工程作業に入ります。それが「台詞合わせ」です。台詞合わせとは、そもそも演劇上演にあたり、演者さんたちがまず初めに行う、いわゆる「最初の稽古」になります。勿論ですが、登場人物が10人居れば10人の演者さんが居て、それぞれの台詞を喋ればいいのですが、書斎には私1人しか居ません。上記の例で言えば私が1人10役をこなすしかないのです

そもそもですが、台詞合わせ自体、文字書きがするものではない、する必要のない作業になります。それでも私が台詞合わせを行うのには2つ理由があります

まず1つ目の理由は、上演時間の大まかな把握を行うため。
演劇脚本は、全国の学生さんや劇団様に利用いただくため、演劇脚本のオンラインデーターベースに投稿します。その際に、この演劇脚本は上演に一体何分必要なのか、インフォメーションとして登録する必要があります

一般的に演劇脚本は原稿用紙1枚=1分換算になるため、例えば40枚なら40分という計算になります。まぁそれはそれでいいのですが、でもそれはあくまで一般論に過ぎず、やはり実際にどれくらいの時間になるのかは、台詞合わせをするほかないのです

もう1つの理由は、違和感を探るため。
執筆と校正作業が終わって、一見「文章」として読む限りは完璧に思えても、実際に声を出して読んでみると「あれ? ここの、この言い方へんじゃない?」とか「いやいや、ここでこの返事はおかしいっしょ」などなど、声に出して読めば読むほどに案外ポロポロと違和感が出てくるものです

でもこれは演劇脚本。言わば、「人が声に出して読む専用」の原稿です。例えば、とある高校生がネットで試し読みし「あ! この脚本良いかも!」と思ってダウンロード。「この脚本で今年のクラス劇やってみない?」と提案し、クラス劇で演劇脚本の採用が決定。が、初めて台詞合わせをした段階で「あれ? あれ?」となってしまって、微妙~な空気が流れ、結局「別の脚本にしよっか……」となってしまう。文字書きとしてこれだけは避けたいのです

と、ざっくり説明してきましたが、そんな理由があって、私は必ず執筆・校正作業後に台詞合わせを行っています

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RULE7 作品の上演はなるべく観に行く

ルールは完全に演劇脚本が私の手元から離れた後のお話

前回のルールの中でも紹介しましたが、演劇脚本は書いて終わりではなく、演劇として上演されて初めて作品となります。なので、脚本を書き終えた後に上演を観ずに次の執筆活動を始めるということは基本的にはありません。とは言え、関西在住なので初公演が北海道~とか沖縄~とかになってしまうと流石に断念しますが、新幹線で行ける距離(範囲)であれば、なるべく観に行くようにしています

とは言え、案外自分の作品の公演を観るのは、何度行っても慣れず、やはりどこか恥ずかしいものです……(笑) 特に中学生時代や高校生時代に書いた演劇脚本は、随所随所に幼さが残っていて、公演を観ながら「どんな展開やねん」とか「ここの台詞強引やな」とか色々思う場面があるのです。でも凄いのは「脚色」で、ある意味、この「脚色」を勉強するために観に行くようなものです

「脚色」は、完成している演劇脚本を、出演者の人数や上演時間に合わせてアレンジすること(基本的には担任の先生や、顧問の先生などが担当)。勿論、私の脚本をそっくりそのまま演じてくれるところもありますが、やはり「脚色」ありきの上演も多いものです

なので、先述した幼さが残っているはずの中学生時代・高校生時代に書いた演劇脚本が「え? これホンマに俺の作品? え? 凄っ!」とか「なるほどな~、そう脚色するのか」とか、とにかく関心・感動することもしばしばで、メモ帳を片手に、盗めるところは徹底して盗みます(笑)
その後、書斎に戻り、勿論100%フルコピーとはいきませんが、参考になった脚色部分(要素)をオリジナル原稿に加筆し、修正、再度データーベースにアップロードするのです

つまりは、最後の最後まで見届ける、最後の最後まで手を抜かない、というのが今まで紹介してきた私のルールの総まとめになります

でも、とは言いつつも一番はやっぱり、学生さんや演者さんたちの「人生の1ページ」に自分が携われるということが何よりの喜びであり、目的であったりします。特に中学・高校生のクラス劇での上演は、THE青春そのもので、梅雨時に「今年はこの劇をやろうと思います~」から始まり、「ヒロイン役は誰がしますか?」と配役を決めるクラス会議があり、クラスみんなで小道具・大道具の作成を始め、ダルいダルいと言いながら夏休みの校舎に集まって、稽古をして、徐々に徐々にクラスがまとまっていく。そして学園祭本番にはみんなで円陣を組んで、上演後に「終わったー!」と抱き合い喜ぶ。時にはクラス劇での共演がきっかけでカップルが生まれるというエピソードもしばしば。そんなひと夏の青春に自分が携われたということだけで私は本当に「書いてきて良かった」と笑顔になれるのです

――演劇と言えども、それもひとつのドラマ。

私の頭の中の言わば「妄想ストーリー」が、白い原稿用紙の上に降り積もっていく。文字は重なり、やがて厚みを増して「演劇脚本」となる。やがてそれは誰かの手に拾われて、「演劇」となる

演劇を演じる側、それを観るお客様。どちらにとってもそれは「特別な時間」となる。大切な人と観る人も居れば、大事な息子、娘の晴れ姿を観る親も居る。気になるクラスメートや、付き合いたての恋人、大好きな親友が出演する劇を楽しみに観る学生が居る。憧れの俳優さんを目当てに見に来たお客さんが居る

そしていつもとは異なる「自分」を観てほしいと舞台に立つ演者さんが居る。そしてその中に、自分の作品を観に来た「紺野優」が居る。そしてそんな「紺野優」の頭の中に生まれる新たな「妄想ストーリー」

そうやって、くるくる回ってく

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中学2年生から演劇脚本を書き続けている【職業・劇作家】紺野優のセブンルール、いかがでしたでしょうか

アマチュア劇作家と言えども、日々いろんなことを考え、自分の中のルールに従って演劇脚本を書いている、というのは意外でしたでしょうか。それとも「なんか想像通りだったよ?笑」と思われたのでしょうか?

ともあれ、私はこれからもこのルールに従って演劇脚本を書き続けていきます。いつの日か、もっともっと大きな舞台で自分の作品を見れることを夢見て、今日も明日も頑張っていきたいと思います。皆様、いつも応援本当にありがとうございます

これからも何卒よろしくお願い致しますm(_ _)m

追記.

脚本データは下記サイトにて公開中です
是非この機会にお読みください^^笑


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