【映画感想】ブライトバーン【問題です。スーパーマンであるクラーク・ケントはクリプトン出身。働いているのイリノイ州メトロポリスさて、育った街は、何州のなんという都市でしょうか?】

コンブの備忘録

ブライトバーン/恐怖の拡散者(原題: Brightburn)
監督:デヴィッド・ヤロヴェスキー
主演:エリザベス・バンクス
   デヴィッド・デンマン
   ジャクソン・A・ダン
製作:ジェームズ・ガン

 劇場未見、Netflixの吹き替えで視聴しました。
 ホラー版スーパーマン映画として話題になりました。何より、ジェームズ・ガンが製作という事が前面に宣伝されていたと思います。
「監督のデヴィッド・ヤロヴェスキーって誰?」な状態だったので観賞後に調べたら、ジェームズ・ガンのお友達。と言うかこの映画自体ジェームズ・ガンのリアルファミリーが全面的に参加している映画でした。
 ジェームズ・ガンの弟ブライアン・ガンと従兄弟のマーク・ガンが脚本を担っていると言う。
 その辺りの詳しい話は『【単独インタビュー】『ブライトバーン/恐怖の拡散者』デヴィッド・ヤロヴェスキー監督が語る、ジェームズ・ガンとの映画作り 』の記事がまとめてくれているので、こちらを参照頂きたい。
 監督の作品としては2015年の『インバージョン 転移』がある様ですが、こちらも未見です。
 と言ったところで、事前情報的には少なめで鑑賞。

1.田舎の理想と現実

 ブライトバーンの感想や批評を読むと、「スーパーマンがグレていたら、、、」と言った物が大半である印象でる。売り出し方そうだったなので、そのような感想が出るのはもっともだと思う。
 私としては、別の切り口で考えてみた。
 映画のプロットは言わずと知れた「スーパーマン」。
農場近くに宇宙から落ちてきた赤子。成長するに従いスーパーパワーを発揮してく。
 スーパーマンは何故真っ直ぐ育ったのか? 先程上げた監督インタビューでも簡単に触れられて軽快な回答をしているが、私としてそこを掘り下げていきたい。
『スーパーマン』のクラーク・ケントと『ブライトバーン』ブランドン・ブライアンについての共通点を2つに絞る事ができると思う。

(1)宇宙から来た赤子で、超人である
(2)飛来した場所がカンザス州である。

(1)については前面に打ち出していたので、知っていて当然といえるだろう。
(2)については意識していなかった人も多いのはないかと思う。
 クラーク・ケントがカンザス州スモールビル(タイトルで出している問題の正解です)で育ち、ブランドン・ブライアンがカンザス州ブライトバーンで育っている。
 実はタイトルの『ブライトバーン』とは町の名前なのだ。
 日本では放題『ヤング・スーパーマン』として放映されていたドラマシリーズの原題が『Smallville』。
 こちらのドラマは超能力を持っていることについての苦悩や葛藤、恋愛や友情と言った要素が多く、ヒーロードラマの中では異色よりの様だ(未見の為wiki調べ)。
 もしかしたら作品タイトルはここから着想を得たのかもしれない。
 さて、本省での本題である。
 クラーク・ケントはなぜまっすぐ、純粋に育ったのか。
 それは、「カンザス州」と言う田舎の理想を押し付けられているからだと言える。
 のどかな田舎町。理想の田舎。
 このフレーズだけで勝手に「いい場所」と想像させ、そんな「いい場所」で育った子供が歪んで捻くれることを良しとはしなかったのであろう
 その為に「のどかな田舎」で育った「好青年」はスーパーマンにさせられたと言える。
 その意味で実はスーパーマンとは田舎の理想の体現者として存在している。
 では一方でブランドン・ブライアンはどうだったかと言うと、理想の反対に位置する極めて現実的な、あるいは負の側面の田舎の体現者である。
「のどか」と言えば聞こえはいいが、実のところ「なにもない場所」で、退屈極まりない。
 そして、彼の人間関係を見ても非常にコミュニティが狭く、閉塞的な田舎を強く感じさせるような作りになっている。
 日本の中に何人、自分が通っていた学校に親類がいた経験があるか。。。
 (下手したら、不登校になるね。俺は。絶対いやだ。)
 スーパーマンが「良き場所」としての田舎を切り取ったのに対して、ブランドン・ブライアンは田舎のマイナス面、あるいは現実を表している。
 もしも、彼がニューヨークで育っていたら、同じ結末にならなかったと思う。
 彼はむしろより立派なヒーロー又は、ダークヒーローになったと思う。
 少なくても、そう考えられる程度にはこの「カンザス」という場所の設定は重要だったのだと考える。
 この辺りの話は本当はエドワード・レルフ『場所の現象学』とかイーフー・トゥアン 『トポフィリア』『空間の経験』とかの話もしたかったけど、今の俺にはもうその辺りの詳細や解説が不可能なので、やめておくことにする。

2.愛情を全て踏みにじる

 先日『ビバリウム』を鑑賞していたが、本作も期せずして話が被ったと思った。
 ビバリウムがカッコーで、ブライトバーンではハチで説明される。
 そして、そのハチも非常に攻撃的であることを加えて主人公に説明させる。
 ブランドン・ブライアンはビバリウムの赤子と異なり、非常に愛されて育てられる。そして、その愛情を全力で裏切る。
はっきり言ってそういうシステムのもとで作られていたから、愛情の有無など関係無いのだろう。
 なぜなら、ブランドン・ブライアンはハチなのだから。
 そしてこの映画の中で、愛情を踏みにじるのは彼だけでなく、両親も踏みにじる。
 今まで、愛していた子供を、つい最近まで可愛かった子供を、グレてしたまった彼を、自ら解決しようとする。それも間違ったやり方でだ。その結果、彼は完全な暴走列車となり「我が道」無遠慮に進むことになる。
 ブランドン・ブライアンはどこかで、「スーパーマン」になるチャンスはあったのか? それを考えては「きっと無かった」という解答に至るのに、それを考えてしまう。
 それだけ面白かったということだ。

3.ホラー映画的にどうよ

 一応、本作はホラー映画の位置付けだが、怖がらせとしてはそこまでではない。
 むしろ、ジェームズ・ガンのお決まりである無遠慮なゴアな表現多く、そこで親指が立つ感じがあります。
 痛々しさが全力で思わず「うわぁ」と言ってしまうところなどもあります。
 正直なところ、自分からおすすめするよりも「観たい人」には止めないレベル。
 個人的には、ジェームズ・ガン繋がりなら『スーパー!』の方がおすすめかな。
 演技面で言えば、子役のジャクソン・A・ダンくんが最高。彼の演技が良すぎてたまらない。目で訴えてくる感じが素晴らしいと思います。の大人の役者の中にいても、しっかりと画面支配をして存在感を出していると思いました。

4.余談

 ジェームズ・ガンの『スーパー!』では『宗教的経験の諸相』という本から非常に影響を受けている。
『宗教的経験の諸相』を私は未読で、要約を舐める程度にしか理解していないが、宗教を信じている人にとって、
「神の啓示」や「神秘的なこと」を体験したら、その人にとってそれがリアルで、他者がより合理的な説明をしても、
それを否定することが極めて困難であるという説明しているらしい(いずれちゃんと読んで、その感想も書きたいな)。
 ブライトバーンではどうだろう。と言っても主人公自身が神のような存在なのだから、どこでどんな体験をしたのかなど、
あまり関係がないのかもしれない。
 むしろ、自分がそのように破壊することを目的にした生き物で、彼を送り込んだ者から、彼が考えたとか、感じたとか、実際には自由意志のようなものがなく、システマチックに世界を征服する道具の一種であることを知ったらどんなリアクションをするのだろう。
 続編で世界征服祭りの後、送り込んだ宇宙人vsブランドン・ブライアンというのも見てみたい。

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