【小説】ルージュ

 ルージュを引いて学校に行った。
 悪いことをしているわけじゃないのにどきどきして、教室に入ってからもあたりを伺ってばかりいた。ペットボトルの飲み口にうっすらピンクが残るのが後ろめたかった。
「今日ね、メイクしてきたの」
 隣に座った友達に、待ち構えていたように報告する。今日なんか違うね、なんて言われた日には、恥ずかしくて消えてしまうんじゃないかと思ったから。
 薄いなー、と彼女は笑って、私の口の端を拭う。「メイクしてる時はこすったらだめだよ」そう言う彼女の顔は私よりずっと大人っぽい。
 恥ずかしくて、安っぽい化粧品全部拭い去ってしまいたくなったけど、授業が終わったら直してあげると言われて、仕方なくそのままノートを開く。好きな授業なのにどうしても身が入らなくて、ペンを持った手が何度も前髪をいじる。
 子供の頃、メイクが禁止されているのはどうしてなんだろう。大人っぽくなりたいのだって、綺麗になりたいのだって、悪いことじゃないはずなのに。そう思っているのに私は、自由を手に入れた今もまだ、大人に近づこうとする私が不純に思えて、うまく努力でできないままでいる。
 授業が終わって、教室に近いトイレに引っ張り込まれる。私が差し出すメイクポーチを無視して、彼女は自分のポーチを漁った。
「今日終わったらさ、グロス見に行こうよ」
 あんたもっと大人っぽい色のが似合うよ、と当たり前のように言って、ワインレッドを私につける。真剣に私を見つめる彼女のまぶたが、ベージュに光るのが見える。
「ねえ、ちょっと、派手なんじゃ」
 鏡の中の私が大人っぽくてうろたえる。
 嫌だったら後でメイク落とし貸したげると彼女は言って、そのまま自分のメイクを直しはじめる。鏡の中の私は紅いくちびるを歪ませて、その背中をただ見ている。
 私は、こんな顔になりたかったんだっけ。
 気づけばチャイムがなる寸前で、私たちは慌ててトイレを出る。
 ねえ、私はどうなりたかったんだっけ。自由を前にして、私はまだ、上手に息もできないままでいる。

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