スーツケースを抱える人の群れに

連休最終日、電車に乗る人々はスーツケースを抱えている。
しかも、大体、でかい。コナンの映画なら、コナンくんが入っているくらい。
きっと帰省していたのだろうな、と想像して、けれど私の想像はそこで終わる。私には帰省するという経験がないから。
実家を出てはいるものの、実家まで徒歩圏内なので帰省という距離でもないし、祖父母の家に遊びに行くとか、親戚の家に集まる、というような経験もない。

おかげで帰省ラッシュに揉まれずに済むし、この歳になっても結婚がどうたら言われることもない。
今年も平和な年越しで最高だった。のんびり散歩したり、編み物をしたりして。

でも、帰省というものに、ずっとほのかな憧れのようなものがある。
それは多分、子どもを持つ未来を想像できないと実感する時に感じる疎外感とよく似ている。
あるいは、血の繋がった他人の死を悼めない自分を許すとき。悲しいニュースを無感動に読み進めるとき。
なんとなく、社会に置いて行かれているような気がする。そんな人はいくらでもいると知っているのに。

きっと私には親戚づきあいなんてうまくできないから、憧れはずっと憧れのままだ。
いつか親戚づきあいをするようになったって、うまく立ち回ることもできないまま、疎外感を感じ続けていくに違いないと思う。

軽い鞄ひとつ下げた私は、スーツケースに何が入っているのか、想像することもできない。
言葉を交わす楽しみも、憂鬱も知らないまま、電車に乗る。

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