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いつか白い花に囲まれる日に


妙にゴツゴツした白い花。

小さな窓から見えるのは見慣れている筈の顔なのに、何故か皮と骨ばかりで中身は空っぽだった。


変なの。


子供心にそんなふうにしか思えなかった。


時子は重たく感じる薄紫色の天井を見上げてため息をついた。

それは何か深く悩んでいるような、重くて深いものではなく、どちらかというと軽くてついつい癖でついてしまった種類のものだった。

幼い日の出来事のことを思い出してしまったのだ。

そのことを思い出すと、時子はもうダメだった。


眠れなくなってしまうのだ。


それは時子の人生において正直言うとさほど大して影響力はないのだが、何故か時子の心の奥底にしっかりと根を張り息づいていて、時折、それも特に眠りに落ちる直前などに、ふわりとかけられた毛布のように時子の脳裏にその残像が蘇るのである。

そしてそれは一度思い出してしまえば、それをそれこそ最初から元を辿って、自分の記憶通りになぞっていかないと眠れなくなってしまうのだ。

それが、たとえどんなに明日に大事な用事が入っている前の夜でも。


時子は眠れないことがわかっていた癖に、もしかしたら眠れるかもしれない可能性にかけて横たわらせていた身体と現状にあきあきし、やはりいつも通り布団から出て起きることにした。

隣の布団には、僅かな寝息を立てて眠る息子の悠の姿があった。

小学五年生。多少の悩みはあるかも知れないがまだまだ子供時代を謳歌できる年齢だ。

いや、彼は意外に大人びた考えをすることがあるから、もしかすると同じ頃の私より断然悩み多き人生をもう既に歩んでいるのかもしれない。

そう思うと、その小さく丸まって眠る背中が愛おしくなり、思わず悠の頭を優しく撫でた。

手に柔らかく当たる少し癖っ毛の細い髪が自然と優しい気持ちにしてくれる。ふさふさとしているそれは時子にも元夫にも与えられなかったものだった。

悠が僅かに寝返りをうつ。起こしてはならないと思ってすぐに自分の手を引っ込めた。

再びすぐに規則正しい寝息を立て始めるのを確認すると、水を飲む為にそっと悠の側から離れて台所へ向かった。

カチカチという音と共に台所の妙に白っぽい電灯をつける。急な明かりに目が慣れずに軽い立ちくらみを覚え時子は目を瞬かせる。


そして、それから改めて台所を眺めた。

台所は母親の砦だと言う人もいるが、その場所は何だか他人の顔で時子を迎えているような気がした。

綺麗に磨かれたお鍋やヤカンが几帳面に並べられている。どれもまるで指示を待つ警察犬のように自分のやるべきことをしっかりと理解した上で、その機能を最大限に活躍できることを知っているような顔をして並んでいる。

正直、時子にとってのその場所はこの家の中で1番居心地が悪く馴染めない場所であった。


時子は料理の類は一切しない。料理は基本的に週に2回雇っている家政婦の田淵さんが作ってくれる作り置きを悠と2人で食べることにしている。

当たり前だが、プロの田淵さんによる料理の味は一級品で、尚且つ親しみやすく体にも優しい。
下手に自分が作るよりも彼女の作ってくれた料理を素直に食べていた方が、断然効率が良く、衛生的で、健康的なのだ。

年に2度ほどしかない悠の遠足のお弁当さえも、ある年から時子は台所で作らなくなった。

効率面と栄養面とを考えて、それが一番良いと思ったからである。悠はそれに関しては何か思うことがあるのかもしれないが、基本母親の考えには納得しているらしく素直に田淵さんの作ってくれたお弁当を持って遠足に出かけて行ってくれている。

きっと、こんな母親に対しては料理以外でも本当は言いたい事は山ほどあるのだろう。と思う。


人には適材適所というものがあるのだ。

それは時子がどんな時でも常々思っていることでもあるのだが、田淵さんの適材適所は台所で料理を作ることであり、時子の適材適所は家庭とは程遠い場所にある。というのが正解なのだと思う。

それぞれが得意なことに専念することに対して、誰かの勝手に決めつけた道理や思いなんて汲む必要は無いと思う。

仮にその誰かの考えた『当たり前』を必死で汲み取って再現してみたところで、自分が苦しくなるのは目に見えているのだから。


だいたいお母さんが全員料理が好きで上手だ。なんて一体誰が決めた妄想だろう?
そいつはきっと、自分で料理をしない男どもに決まっている。

時子はそう心の中で毒づくと、水道を捻りガラスコップに水を注いで一気に飲んだ。喉が渇いているわけではなかったが体に水分が行き渡るように思い、少し気分が落ち着いた。


時子は化粧品メーカーの店舗統括マネージャーをしていた。時子が今の地位に上り詰めるのにそう時間はかからなかった。

幼い頃から化粧品が大好きだった。

時子の母親は専業主婦でずっと家にいたので、化粧品は数あるほどしか持っていなかったが、それでもその少数精鋭の母親の口紅やチークが大好きだった。

母が買い物で出かけている隙にこっそりと自分に塗るのも大変好きだったが、それよりも時子は自分の母親が誰かの結婚式やお葬式などの大事な行事の時にだけ母親自らに化粧を施す姿を見るのが大好きだった。

そういう行事がある時は時子は朝も早く起きて、その特別な母の様子を見るのを楽しみにしていた。

いつも少し疲れた母の顔が花が咲いたように綺麗になる。

まるで魔法だ。

時子にはそうとしか思えなかった。


ワクワクするような色とりどりのアイシャドウ、赤い口紅、派手な色ではない薄い紅色のチーク、ただそこにあるだけではなにも起こらない魔法が、母が少し自分の顔にそれらを乗せただけで、急にその色が静かな星達の瞬きのように輝きだすから本当に不思議だ。

本当になんて素敵な魔法なのだろう。

時子は今でもその心臓の高鳴りを忘れたことはない。だから今の仕事に就職した時は本当に天にも登る気持ちで嬉しかったのを昨日のことのように覚えている。

自分の仕事を愛し、いつでもがむしゃらに頑張ってきた。人を幸せにする魔法に関わっている仕事をしていると思うと、必然的に仕事に力が入った。

化粧品に対しての知識なども誰よりも努力して勉強し、またもともと接客業のセンスにも長けていたのだろう。どんどんと同期入社を抜いて出世していったものだから自分でも大したものだと思う。

適材適所。


その言葉通り、時子には化粧品に携わる仕事が合っていたのだ。


そして、31歳で『元』夫と結婚し、悠が生まれるまでは順調だった。

そう順調そのものだったのに。


時子はその時のことを思い出すと、苦々しい気持ちになる。


結婚した当初はお互いの仕事を理解し尊重しあっていた2人だった。時子が仕事で遅くあろうが、料理を作れなかろうが、元夫は時子そのものを、大好きな仕事を含めそのまま全てを愛してくれていたと思う。

お互いに得意なことに集中して、お互いの仕事の邪魔にならないように気遣い合って生活していた。

だが、問題は悠が生まれてからだった。

待望の長男である悠が生まれると、元夫は急に時子に理想の母親像を押し付けてきた。

どうしてそんなに早く仕事に復帰するのか?

なぜ仕事で帰りが遅いのか?

どうしてあまり子供に手料理を作らないのか?

どうして母親になった途端女は何もかも変わらないといけないのだろう?


体型も考え方も勿論変わるのは仕方がない。
薄っぺらな言い方かもしれないが、私は我が子を誰よりも愛しているし、最優先している。


だが、子供と過ごす前から大事にしていたものを蔑ろにまでしたくない。そして、子供と過ごす前から苦手だったものを急に得意に変えることもできない。

そして、変わるのが当然だということを押し付ける人たちもどうかしていると思う。

特にそれが身近な人から発せられる言葉であるということが当事者の胸に傷を作り、余計に抉るのだからたまったものではない。


男性は何も変わらないから羨ましい。

仕事も役職も、体型も思想も時間も。自分の趣味も。自分の思考回路も何一つ変えなくていいなんて、なんてずるい生き物なのだろう。本当は子供が産まれたら積極的に変わらなければいけないのは男性の方なのに。

時子はそこで首を振った。

ダメだ、ダメだ。

今夜はダメなことばかり考えてしまう。明日もまた仕事が待っていて、眠らなくてはならない癖につまらない毒ばかり吐いてしまう。

結果的に元旦那とは離婚したんだからもういいではないか。つまりは私には縁がなかったのだ。

元旦那とも台所とも、

そして彼らが一様に描く母親像とも。

時子はまたため息をつき、今度はコーヒーを入れることにした。カフェインを摂取してしまうと眠たくなくなくなってしまうが。それでも今の毒々しい自分にはあの独特の香りと苦味が無性に恋しかった。


時子はそう思い立つと
デパートで買ってきたばかりのまだ封を切っていない、キリマンジャロ豆を取り出した。もう粉になっているものなので、豆を引くことなくコーヒーマシーンですぐに飲める。

封を鋏で切ると、フレッシュな豆の香りが優しく香る。そうだ求めていたものはこれだったのかも。そんな閃きを与えてくれるからコーヒーの香が好きだ。

ペーパーを折って広げてセットする。粉は大盛り二杯入れて、水はコーヒーカップ二杯分ぐらいの分量にする。もしかしたらそんなに飲まないかもしれないが、いつもの癖で同じ量を入れていた。

夜中の台所にコポコポと静かなサイフォンの音がする。それはまるで夜行性動物の息遣いのようで、何故だか時子の心を安らかにした。

出来立てのコーヒーを一口飲む。
香りの良い液体が口の中に広がり、ほっと息をついた。こんなちっぽけなことなのに今の毒々しい自分がすごく救われた気がした。

心がほっとしたところで、またもや時子は眠れなくなった原因を思い出す。

そうだ、私はあの出来事、

祖父のお葬式の事を、また思い出して寝れなかったのだ。


そのことを思い出すと、時子は祖父の記憶をコーヒーの香りと共に最初からたどって行くことにした。どちらにしても祖父の事をそれこそ伝記に記すように記憶通りに辿らないと時子は寝ることはおろか、布団に入ることすらできないのだから。


祖父との一番新しく、そして最後の思い出。
それは祖父のお葬式になる。

時子はその時、小学3年生だった。

お葬式は時子の住んでいた自宅で行われた。
生前から祖父がお葬式にはお金をかけるな。と言っていたので、その意向を汲んで母がそうしたのかもしれない。


母の弟にあたる叔父さん夫婦が来ただけで、他に親族や知り合いもいない、とにかく寂しいお葬式だった。

時子はお葬式自体初めてだったので、子供心にお葬式とはこんなものかと思っていたが、大人になるにつれて知り合いのお通夜や法要などに行くたびに、自分が最初に見たものとの違いに驚いたほどだった。


お葬式の日、時子は祖父の棺に白い菊の花を入れた。花なのに可愛くないなと思った。

皮と骨ばかりになった祖父の顔を見ると、そこにはもう時子の知っている強烈な祖父の姿はなく、ただ中身が空っぽになった、かつて人であった祖父がそこにはいた。

人間は死んでしまうと空っぽになるんだな。と、子供心に妙に納得したのを覚えている。

時子にとって今まで生きた中で身近な人の死はまだその大嫌いな祖父の死のみだ。

涙は勿論出なかったし、煙突から出る煙を見ても何も思わなかった。骨を拾うときには、人間の骨というのはこんなに白いものなのか。と感慨深い思いにもなったが、別段一緒に暮らしていた祖父との楽しい思い出もなく、ただ目の前の行事を進むがままに遂行した1日だったと覚えている。


時子にとってどちらかというと家族のめんどくさい行事の一つとして数えられるものだろう。


ただ、その日の葬式の日の事を大人になって成長した今でも、何故だか何かにつけてふと思い出すのだ。


悲しくもなく、嬉しくもなかった、

その日の出来事のことを。

幼い頃、時子は母親と父親と姉と祖父の5人で暮らしていた。

祖父は母型の父で、祖母とは仲が悪く祖父に愛想をつかした祖母は祖父を自分の娘である母親に押し付けてどこかに消えてしまったのだ。

母親は祖父のことを放っておかなけなかったのか、見捨てられなかったのか、同居することを決めて、そこから時子の家に祖父が一緒に暮らすようになった。

見捨てる。などと言った些かきつい表現を使うと、老人に対して何て酷い言い方なのだろう。と思う人もいるかもしれない。
だが、時子の祖父は一般的な世間でいう孫思いの優しい祖父のイメージを根底から覆すような個性の持ち主の祖父だったのだからそう言われても仕方がないのである。

祖父は元は庄屋の出だか、反物を扱う商売をしていただか知らないが根っからの坊ちゃん気質で、頭が良いだか勉強ができたか知らないが旧帝国大出身だとかで大変偉そうだった。

いくら元金持ちだろうが、いくら勉強ができようが、お金を1円も稼ぐ事なく、黙々とひとり書物を読み耽るばかりのただの穀潰しのような祖父に家族を養うという考えは全く無く、その分祖母が働いて稼いで家族を養い、子供達まで育てた上げたと言うのだから祖母は本当に苦労人で偉いと思う。

祖母が自由になりたかった気持ちも頷けるというものだ。

きっと母もそう納得してのことなのか、兎に角祖父を引き取って暮らすことになった。

当たり前だが、そんな祖父には祖父だけの小さく誰も寄せ付けない独特の世界があり、いつも黄ばんだ漢字だらけの本を読み耽り、いつも同じような昔の防虫剤の匂いが染み込んだ服を着て、いつも同じような茶色いおかずを食べ過ごしていたように思う。

祖父の部屋は眺めの良い南側にあり、そこには大きな窓があったが、何故か常に薄暗く決して近づいてはいけない雰囲気のようなものがそこにはあった。当然ふたつ上の姉も時子も決して祖父と積極的に仲良くなろうとはしなかった。

子供ながらにこの人は決して私たちを受け入れたりはしないだろう。と感じていだからだろうと思う。

時子の父でさえも、自分の義理の父親のことを遠巻きに見ていたぐらいなので、その腫れ物感たるや一級品であったのではないかと思う。

正直、今でもあまり老人が好きではないのは祖父の影響が強いのかもしれない。


そんな腫れ物たる祖父と時子に一度だけ接点があった。

ある日、祖父が時子の髪が長すぎると言って、母にも、勿論時子にも何の了承も得ず急に鋏でばっさりと切ってしまったことがあったのだ。

時子はその時5歳だった。

遠巻きに恐々見ていた老人からいきなり髪の毛をザンバラに切られた時子はパニックで泣き、母も突然のことに驚いて当然のことながら祖父を怒った。だが祖父はそっぽを向きまったく謝らない始末だったそうな。

祖父が時子の人生に関わった思い出なんて、本当にそのぐらいだ。

正直言って、

何処かに行けばいいのに。

とさえ思っていた。

時子にとって祖父はまるで、箪笥の奥底に眠らせておかなければならない祖父がいつも着ているような強烈な古い匂いの染み込んだ服のそのものだった。


そう端的に言えば、鼻につく凄く嫌な存在だったのだ。

そんな祖父がある日、頭から血を流して帰ってきた。

その頃祖父は90歳もとうに過ぎ、見るからにヨボヨボのお爺さんだったのだが、有難いのか有り難くないのか、ボケることなくまだまだ矍鑠としていて、その日もしっかりとした足取りで日課の散歩をこなしていた。だが、やはり歳とともに衰える足腰の弱ったのには勝てなかったのだろう。どこかで転んだらしかった。

だが、転んだ後がこの祖父らしい点なのだが、転けて頭から血を流しても誰かに助けを求めることもなく自ら起き上がり家に帰ってきたのだ。

驚いた母がすぐに病院に連れて行き、大した怪我ではないことが分かったが、祖父はその日を境にぱったりと日課の散歩には行かなくなってしまった。


あの南向きの薄暗い部屋へ篭ったまま祖父は外へ出なくなってしまった。


祖父が家の中だけで過ごすようになってから、祖父の足腰も日に日に衰えてしまっていたが、相変わらず漢字ばかりの書物を読み耽り、相変わらず古臭い匂いの服を着て、相変わらず茶色いおかずを食べていた。

頬は落ち窪んで、乾いた皮膚を持った、目だけが異様に光ったあまり近寄りたくない老人だった。

そして、それから暫くして、祖父は風邪が何かを引いたのをこじらせて、それがきっかけで肺炎になり入院してしまった。


母がバタバタと祖父の入院準備をする姿を時子は不思議な気持ちで眺めた記憶がある。

時子はすでに小学3年生になっていた。

興味のない老人の入院情報は、時子にとって何ら嬉しいことも悲しいこともなく、ただ耳の中を駆け抜けて通り過ぎて行った。

そして、祖父は暫くして病院であっけなく亡くなった。93歳だった。

母は泣いていた。


時子には不思議だった。何故あんな偏屈な老人にそんなに涙するのだろうか?と。

母以外に涙する人もなく。老人は喪に服された。

今にして思えば、母だけが泣いてくれたことに老人の死の意味があったのかもしれない。とさえ思う。

時子が知っている、そんな哀れな祖父の葬式。


時子には何の感情をも持つことができない祖父。


白い花に埋め尽くされた、乾いた皮膚を持った老人。

それから何年も経ち、学生生活を謳歌し、好きな化粧品会社に就職し、恋人もでき、バリバリ働いて、結婚して、子供もできて、


時子はすっかりとそんな哀れな老人の死など、
忘れている筈だった。

なのに、何故か気づいた時にはふと思い出していたりするのである。


それもぼんやりなどと言った思い出し方ではなく、その日の天気から、祖父の肌の質感や母の喪服の生地の触感などを、よりリアルにより詳細に。


少し曇り気味のあの日の天気。

雨が降りそうな、肌にまとわりつく生ぬるい空気。

ざらついた砂地の上を踏んだ黒い革靴の裏の感触。

母にしがみついた時に指に触れた、さらりとした母の着ている喪服の生地の触り心地。


そして、母の頬を伝う涙の筋。

白い花に囲まれた中身が空っぽの皮や骨ばかりの老人の姿が見える。


そこに花を入れた自分自身の姿も。


なんだか妙に重たいゴツゴツした可愛げのない花だった。


その花を入れた手元を、祖父の乾燥した肉感の無い皮膚の質感を、時子は詳細に思い出すのだ。

眠れない夜にも、眠りたい夜にも。

目に見えない糸がその記憶をするすると手繰り寄せて、あの日の出来事を蘇らせる。


そして、はたと考えてしまう。


私もいつかその重たく妙にゴツゴツとした白い花に囲まれ骨と皮だけの空っぽの姿になってしまうのだ。


と。

蓄えたお金も、積み上げたプライドも意地も、大事な息子も、大切に毎日磨いている体さえも置いて、私はいつかここからいなくなってしまう。


消えてしまうのだ。

消えてしまった後、悠はあの時の母のように泣いてくれるだろうか?

母が祖父の死に泣いたように。私が生きている間に少しでも誰かの記憶の隅に引っかかっることができるのだろうか。

私がふと祖父を思い出すように、誰かは私のことを眠る前や、眠れない夜に考えてくれるだろうか?と。


答えはわからないし、死んだ後では知る術もない。

どんなに頑張ったところで、何もかもなかったことになり。私のこの仕事への情熱も元夫や台所での毒々しい気持ちさへ海の藻屑に散り散りバラバラに消えていしまい、後に残るのは妙に白い骨のみなのだ。


きっとそれさえも、もう自分とは関係ないものになっているのだろう。


時子はそこまで考えを巡らせると妙に寂しいような悲しいような気持ちになって自分を抱きしめた。

それは眠れない夜の時子のいつものお決まりの仕草だった。

気がつくと窓の外がうっすら薄水色に明るくなっていることに気がついた。

もう朝かと思い、時計を確認すると既に針は5時を少し過ぎていた。今日は少し遅く起きるとして、後2時間ぐらいは今から眠れる。

今からでも少しでも眠ろう。

今から布団に再び入れば、10数えている間に眠りに落ちてしまうに違いない。


いつか私が白い花に囲まれる日が来るのかどうかは分からない、そして、誰が泣くか泣かないかなんて、死んでしまえば分からない。

それでも、そのことを考えてしまうのなら、私が私の自身の死を泣けるように今を生きればいい。

私には守らなければいけない子供がいる。

仕事がある。

そして、自分がある。

誰になんと言われようと、


生き抜くのだ。

あの老人が血を流しても自らの足で帰ってきたように。


幼い頃は遠いと思っていた筈の祖父の面影が自分と重なる。いつの間にこんなに遠くに来てしまったのだろう。今なら祖父のことが少しだけ分かるような気がする。

だが、それは結局そのような気がするだけで終わってしまうものなのだろう。


それは、私と悠が親子であっても完全に分かり合えないのと同じように。

それでも生きよう。

いつか白い花に囲まれる日が来ても。


時子はそこで欠伸をすると、台所の電気を消し再び悠の待つ寝室へ足を向けた。


今度は重たい眠気を抱いて。


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