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子どもの絵がすき

"優しくて、理解のあるお母さん"

子どもにとってのそんな存在でありたいな。
まだ子どももいなければ結婚もしていない頃、
"もしもそんなことになったら…" 
と、たまに頭に浮かんでいました。

娘が生まれて12年。
その理想との距離ってなかなか縮まらないよなぁってのはちょっと棚に上げとくとして。
以前よりも格段に、"子どもたち"が制作した絵や工作が大好きになりました。
(わたしにしては珍しく断言できるくらいに!)
それは子どもと暮らすようになってからのわたしの大きな変化だなぁと思うのです。

そして、「子どもの作った作品」を考える時に頻繁に思い出す情景があります。


昔々…わたしが4歳の頃、数軒先に"チカちゃん"という3歳の女の子のご家族が引っ越してきました。
チカちゃんには2つ歳下の元気のいい弟がいて、すごくパワフルで明るいお母さんと、釣りがプロ級に上手でoutdoor万能な優しいお父さんとの4人家族でした。

チカちゃんとわたしの歳が近かったことと、お父さん同士の仕事が同業だったこともあり、チカちゃん一家とは自然と家族ぐるみのお付き合いになりました。
チカちゃんのお母さんは忖度無しでズバッとした物言いをする人でした。
すききらいがハッキリしていて、わたしはそれが小気味良くありつつも、「きらわれたら困ったことになりそうだな。」と子どもながらにちょっとした緊張感がありました。

そんなチカちゃんのお母さんはわたしの母について、
「miyaちゃんのお母さんはさ、私よりも10歳も年上だけど全然偉そうにしたりしないでしょ。いつも周りに優しくできるってすごいことだよ。そういうところが私はすきなんよね。」
と言ってくれました。

小学校低学年だったわたしは、
"そう!うちのお母さんそういう部分ある!わたしもすきだし、やっぱり良いところなんだ!"
と、おべっかを言わないだろう人からの何氣ない一言が母への大きなお墨付きのように感じられて、なぜか自分が得意げに思ったのを覚えています。

チカちゃんのお母さんはチカちゃんと弟くんの事が大好きでした。
なぜわたしがそう断言できるのかというと、

「うちの子たちは可愛い!あー可愛い可愛い!」

と普段から冗談まじりで頻繁に言っているのを耳にしていたから。

わたしの母は外でそういう事を口にするタイプではなかったので、
"そんなこと、言っても良いんだ。。"
と、ちょっとした衝撃を受けました。
そして、

"チカちゃんのお母さんは、チカちゃんが大好き" 

をわたしの中で確信にしたものがありました。


幼稚園でチカちゃんが書いてきた絵を、お母さんがパッチワークで忠実にとてもステキな作品に仕上げられたのです。
普段からよく裁縫をされていましたが、その時はかなり長い時間を掛けて制作されていて、(窓辺に足踏みミシンがあったので、遊びに誘いに行った時にお母さんがミシンを踏んでいる姿が見えました。)そして出来たのは横幅が150cm程あるような大作でした。

その作品が出来上がり、玄関を入ってすぐの廊下の壁に大きく展示されているのを見た時に、子ども心に何かが
"ズドーン!!"
と飛び込んできた感覚がありました。

その時は言葉にならない何かでしたが、本当に今でも覚えているその映像は、明るいオレンジ色の空気の中で温かくてやさしくて…
あれは、喜びや愛情が目に見える形になったものだったのかな…
いま思い出すとそんな風に思うんです。

わたしの母も裁縫に長けていて、独身時代にアパレル関係のお仕事をしていたこともあり、子育て中はほんのちょっとした隙間時間を使ってわたしたち3兄妹の服もよく作ってくれました。
単純に嬉しかった温かな思い出はありますが、当事者の時と、第三者の時では捉え方が違うのかもしれません。
きっと、母が労力と時間をかけて何度も試作品をわたしの体にあてては着心地の良い様に調整して作ってくれた服や小物たちは、見えない色んな要素としてわたしの身体の中に染み込んでいるのだと思います。

チカちゃんの家でその作品を見た時の感覚。
お母さんのセンスがとても素敵だったことはベースとして在りながら、温かくて強い、子どもを守るオーラの様なものを感じた時のことをなぜかずっと大切な事のように思い、覚えていました。

そして、今から5年前。
当時、幼稚園年長だった息子が、2月にあった幼稚園最後の発表会でお友だちと6人で大型紙芝居を作って発表しました。
絵本は子どもたちがみんなで決めたそうです。

「ねむいねむいねずみと お月さま」

わたしは知らない絵本だったのですが、まだ背の小さな子どもたちが両手をいっぱいに広げて紙を持ち、オリジナルを織り込んだお話を進めていく様子が可愛くて頼もしくて…胸がいっぱいになりました。
横を見ると同じ紙芝居グループの子のお母さんも涙を拭かれていました。
顔を見合わせて、"もぅ、泣けるよね。"と、小さく笑い合いました。

「すごいねぇ、みんなの絵にパワーが詰まってて素敵だね。」

この今のキラキラとした子どもたちを、その様子を見ることのできる幸せを、ずっと覚えていたいなと強く思いました。


そして、卒園間近にその絵を持って帰ってきました。
絵は1人が1枚づつ作成していた様で、

「この1枚の絵は、僕が全部1人で描いたんだよ。車は図鑑を見て考えながら描いたし、駐車場があるならタイヤを止めるのもないといけないでしょ。そう思って、それも描いたよ。」

息子はたくさん教えてくれました。
時間をかけて作って、その後の達成感を味わったんだなと嬉しくなりました。

その時に、チカちゃんのお家の事を思い出しました。

「アキくん、これ壁に貼ろうよ。ステキだから
!」

息子が、いいよ!と快諾してくれたので、2階のフリースペースの壁に貼りました。
娘が持って帰ってきた可愛い作品も一緒に。

みんなで壁を眺めて、"うん、いいね!" とか言って^^
これをスタートに、その後わが家は、娘や息子が持って帰る絵や作品の中で特に氣に入ったものを額に入れて、1枚づつ入替えでリビングやダイニングに飾るようになりました。

親バカってやつかなー。ってチラッとよぎりながらも、それでも心底 "わたしこれ好きだな!" と思っちゃうと、それを表に出すことの躊躇がなくなって単なる喜びに変化します。(…もしかして麻痺?)

チカちゃんの家であの時ズドンときたものは、もしかしたらわたしの実家ではないタイプの表現だったから、わたしが慣れていなくて輝きがより強く感じられたのかもしれません。

そうだったとしても、
"子どもの絵とのコラボレーション" 
…うん。やっぱり最高に素敵です✨憧れます。
わたしにはチカちゃんのお母さんのような技術が無いので、同じ事をするには無理が生じてしまうと見通せてしまうのが切ないところです。
ですが、ちょっとだけ"エッセンスを共有"ならできるなぁと。

"子どもの絵が好きだわ!素敵だと思う!"

の部分です。(わたし、そこのみ!!😂)

子どもたちの表現って、その時限定の輝きの連続で。それを見せてもらうことで、ちょっと優しくなれてるわたしが居るような氣がします。

冒頭の "優しくて理解のあるお母さん" は、
…もしかしたらなのですが、わたしの場合、子どもたちの表現を見たときに
"すきだな、すてきだな"
って感じる辺りをホリホリと掘っていくと繋がっていたりするのかな。。
なんて、これを書きながら思ったりしています。
うーん、どうなんだろう。

とても取り止めのない話になってしまいました。
フリースペースに今度息子の部屋を作るので、(今は娘と息子が1つの子ども部屋を使っています。)一旦ねずみくんの絵を取り外しました。
これを保管しておくか、場所を変えてまた飾るかを迷い中で、ふと、この話をnoteに書きたくなりました。

読んでくださってありがとうございます^^

*riekitajima_さんのお写真をお借りしました。
ありがとうございます。
お裁縫上手、憧れます✨

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