見出し画像

あ。 叶ってる。

わたしは食べるのがすき。

それは小さい時から。

「miyaちゃんはほんと食べ物の好き嫌いがないね。大人が食べるようなものも好きだもんね。」

と、よく母が笑いながら言っていた。


それはだいたいは正解なんだけど、少しだけ間違いがある。
本当は苦手なものもあったんだよ。

夏になると食卓によく並ぶゴーヤ料理。
冬は濃い鰹しょうゆで食べる湯豆腐。

毎朝飲む自家製のケールを使った青汁も、家の裏のきれいな水辺のまわりに生えているドクダミを乾燥させて作ったドクダミ茶も。。

でも、母が一生懸命に作っているのをいつも見ているから、

"わたし、これはすきじゃない" 

ってちょっと言いにくかったんだ。



毎朝、わたしたちきょうだいが起きる時間には、台所から香るお出汁の匂いと、包丁が働いている軽い音が聞こえてきていた。

朝食後に必ず出される自家製青汁。
わたしのだけは、

「miyaちゃんはさすがにまだ飲みにくいだろうから、ハチミツと牛乳入れてるよ。」

と言って、小さなコップに用意してくれていた。

兄と姉が
「うぇ、、体に良くたってまずいー!」
って言ってる時。
心の中では絶大に共感してても、やっぱり何となく一緒になっては言えなかったんだよな。

母は楽しそうに台所仕事をする人でした。

料理だけじゃなく、裁縫も、掃除も。
庭の剪定や日曜大工は父がメインでやっていたけれど、父が動く時には母も一緒になって何かと手伝っていたし、よっぽどの力仕事以外の事なら、大体のことは母の方がきめ細やかな分、上手なくらい。

でも、何するにしても最後にはいつも父に花を持たせるような、そんな優しさのある母がわたしはすきでした。

姉と兄はいわゆる団塊ジュニアで、私より9歳と7歳年上。

姉や兄が小学生の頃。
新興住宅地にあったわが家の近所には、兄と姉と同年代の子たちがたくさんいました。

その頃は町内会や子ども会の活動もとても活発で。
子ども会でお菓子作りをする時には決まってわが家に子どもたちが集まりました。

ドーナツや、ケーキや、お団子。
ボックスクッキーや、夏はかき氷に手作りアイスをつけたり。

10人以上の子どもたちが集まるので、決して広くないわが家は、あっちの部屋とこっちの部屋と、台所とを使って賑やかでした。

マメな性格の母は重宝されていたのか、何かとお手伝いに呼ばれては、仕事の合間にクルクルと忙しく近所の人たちと交流をしていました。
外で見る母はいつも明るくて朗らかで、ちいさなわたしには特別に頼もしく見えていました。

"あと何年かしたら、わたしの学年くらいの子たちが家に集まってこんな風に、お母さんのことを囲んで、一緒にドーナツ作ったり出来るんだな。"

と、わたしは、ちょっと誇らしいような氣持ちも混ざりながらワクワクとしていました。


夕方、帰宅するのが遅くなった時は決まって、

「あー。ごめんごめん!遅くなっちゃった!
お腹すいたよね!すぐするからね!」

と、一息つく事もなくパタパタと夕飯の準備に取り掛かる母の手から、次々と何品も出来上がっていく様子は…
大げさだけれど、魔法みたいで。

鉄製や木製の器具がきちんと整理された台所も、そこでてきぱきと動く母も、料理によって違う匂いも音も、わたしはだいすきでした。


それらはきっと、わたしにとって温かで優しい記憶なのですが。

ひとつ、ずっとちくちくとした心残りがありました。

それは、わたしが母と一緒に調理をする時間がほとんどなかった事です。

小学校に上がる前からわたしは母にひっついてよく台所にいたので、夕飯前のちょっとしたお手伝いはほぼ毎日していました。

「何かお手伝いなーい?」

そう母に尋ねた時に任されることは、毎回だいたい同じ。

ゆで卵の皮むきに、もやしのひげ取り。
大きなすり鉢で胡麻をごりごりと油が出てくるまで擂ること。(子どもにとっては結構大変💦)
山芋や大根をおろし金で擂りおろすこと。
出汁用の煮干しの、頭とお腹の部分を手でちぎること。
大きな昆布をハサミでチョキチョキ切って瓶に入れておく事。

…楽しいんだけど、きらいじゃないんだけど。。

でも、お姉ちゃんがやってるみたいにお母さんとコンロの前に並んでフライパンで炒めたり味付けしたいなぁ、、
って、机で作業をしながら2人の様子をちらちら見ていました。

わたしももう少し大きくなったら、あんな風にお母さんの横で、"みぎうで" とか言ってもらいながら料理したいなぁ。
の氣持ちは、当然に叶うものだと思っていました。


私が小学校の中学年になった頃、兄の症状がひどくなったことをきっかけに、母が宗教に入会。

慣れないそこでの活動が忙しくなった事で、家で母が子どもたちとゆっくり料理をするという時間は、瞬く間に無くなってしまいました。

いきなりどたばたな日々が始まってしまい、当時のわたしがそのことを悲しんでいたかどうかはもう覚えていないのですが。

そこそこ大人になってから、

「あの頃、ほんとはお母さんに色んなことをもっと習いたかったなぁ。」

とたまに思い返すようになりました。

もう今は、実家と遠く離れてしまったので年に1度か2度帰るくらいですし、母の認知機能の衰えもあって、お料理を教えてもらうということはほとんどありません。

わたしがなんとなく作るものを、

「あら!おいしいねー!miyaちゃん、上手だわ。」

と、母はだいたい何を作った時でも
"おいしいね"
と言って、嬉しそうに食べてくれます。

わたしが台所に立つと、

「miyaちゃんにお願いして、ちょっと休憩させてもらおっかな。」

と椅子に腰かけるようになりました。

いつ寝ているんだろう…と思うほどに1日中マルチタスクをこなしまくっていた母の姿は、だんだんと、ゆったりとした動きをするおばあちゃんのそれに変化していっています。

…うん。でも、それはそれで。

昔から特に食には、穏やかながらも強い信念と実行力を発揮してくれていた母が、家族みんなの体の基盤を作ってきてくれた。

その事実に対して、
"ありがとう" 
の氣持ちでいられたら、それでいいんだろうな。

最近やっと、そんな風に整理できてきた感覚がありました。

そんな時にフッと目に入ってきた、お弁当屋さんの仕事の求人。

5年前から毎週定期で牛乳と卵を購入している、わたしにとっては馴染みのある会社が出している求人でした。

「あ。ここってお弁当も作ってるんだ。」

お弁当販売の業務があることをその時に知り、なんだか一氣に興味が湧きました。

お米、お肉お魚、乳製品、お野菜。
どの商品も低農薬だったり無農薬や有機栽培だったり…おいしいと安全性の両立を目指しているその会社の考え方は前からすきだったんです。

履歴書を書くのは簡単でした。
その会社に対して前から思っていたことを書き込むだけなので、特に考える時間も要らず、あっという間にできあがりました。

ハローワークを経由して、すぐに面接日を迎えました。

面接をしてくれたのは代表の方と、長年勤められている従業員さん。

どちらの方もすごく明るい方で、

「miyaちゃんを待ってたよ!」

と、びっくりで嬉しい言葉を掛けてもらい、次の週から働くことになりました。

もうすぐ働き始めて3ヶ月。

もちろん疲れを感じる事もありますが、とても楽しいです。
(発足して17年目のお弁当部は最高齢の方は70代。50代の方が1番お若い。おっきな鍋は重いですし、おっきな粉物の袋も、油缶も重いです。。40代、重宝されます^^)

調味料も、油も、体に優しいものを使われていて、おかずはいちから手作りのものばかりです。

最近、仕事の流れが分かってきて、周りを見渡すゆとりが出てきたからなのか。
なんだか調理場で、母の台所を思い出すようになりました。

母がしてくれていた、食のことを大切にしたり家族の体を考えること。
あれだけやってもらってきたけれど、わたしは自分の家族に対してちっとも出来ていないな…っていうソワソワをずっと今まで持っていました。

そのソワソワと、
"私もお母さんとゆっくり料理がしたかった。"
の氣持ちはやたらと仲が良くていつも一緒にでてきてしまうんです。(でた。。私の執着…😂)

だから今まで、

"食べるのがすき"

って言えても、

"作るのがすき"

ってあんまり言えませんでした。


でも。
この仕事をするようになって、変化がありました。

何キロものお野菜の切り込みも、業務用のミキサーやカッターで加工していくことも、全部が楽しいです。
わたしはこういうの、すきなんだなぁって感じます。

幼稚園や保育園用のお弁当に付けるおやつ。
時々、フルーツ寒天の日があって、それはわたしの担当です。
100個ほどのそれを作る時は、まだ毎回ドキドキしています。(楽しいけど♡)

最初に作り方を教えてもらった時に、

「寒天作る時はね、ゆ〜っくり混ぜないとだめだから、イライラした時には不向きなおやつなんだよ^^」

と聞いたので、わたしも思いつきで言いました。

「あ。じゃあ逆に…イライラした時には寒天作れば穏やかになれるって事はないですか?
それなら家族の安心の為に、わたし毎日でも寒天作りたいです。」

それいいかもね〜!でも、寒天は体にいいけどお砂糖たっぷりだから毎日食べてたらみんな太っちゃうよ!
と言われて、一緒に笑いました。

「miyaちゃん、3ヶ月目に入ったら炒め物や揚げものの仕事も一緒にやって少しづつ覚えてもらうね!
そのうち全部のレシピ教えるからね👍」

って。
じわっと嬉しい氣持ちになりました。
覚えられるようにがんばります🍙✨


昨日、久しぶりに母に電話をして、仕事がすごく楽しいよって話をしてみました。

母はたぶん、わたしがお弁当屋さんに働きに行ってることを忘れていたけれど。

でも、いつものように明るくて穏やかな声で、

「いいなぁ〜!miyaちゃんにピッタリの仕事でラッキーだったね!
若いうちは働くのがいいわぁ。そんな楽しい職場なら、近ければ私が働きに行きたいくらい!!」

と、笑っていました。

「うんうん!お母さんと氣が合いそうな人ばかりだよ。みんな親切で明るくってチャーミングだよ。
あとね!わたし以外はみんな体が細いのに、食べることも作ることも大好きな人たちだよ!」

「まぁ!それはお母さんにこそピッタリだわ!
そんないい職場なんてあるのねぇ。。奇跡みたいね。
遠すぎて働きには行けないけど、いいレシピあったらお母さんにも教えてね!」


今度実家に帰った時には、みんなから教えてもらってちょっとは料理上手になったはずのわたしが、お母さんをうならせるようなおかずを作りたいな。

"年末にはお母さんに会いたいな。"

そう素直に思えました。


*oryotaoさんのすてきなお写真をお借りしました。
ありがとうございました😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?