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娘のチャレンジがくれた波紋

先日、noteに長々と自分語りをした。
投稿したあとに何度も見返して
言葉じゃ足りない気がしたり、逆に言葉にすることで大げさな感じになっちゃうんだなと思ったり。
総じて感じたのは「文章にしてみてよかったな」だった。
そんな満足感に半身浴していた頃、ちょっとした事が起こった。

小学校で次年度に向けての委員会決めがあった日、

"児童会に立候補したけれど選挙で落選した"

と、娘は家に帰ってきた途端に堪えていた涙を溢れさせて、黙って拭っていた。
今年1年間も児童会で委員をしていたけれど コロナの関係で、企画した行事も色々と無くなったり変更したり 不完全燃焼だったらしい。
もう1年、児童会で活動をしたかったし、できれば会長を頑張ってみたかった…と。

新しく児童会に立候補をした子たちも多かったらしく、先生から「なるべく新しい人たちに経験してほしいからその辺りを考えて1票を投票してください」と一言あったのも関係してほとんど全員新メンバーになったのだ と娘は悔し紛れに言っていた。
娘と同じ立場になった女の子たちはその場で泣いていたようだ。

三つ子の魂百までと言うが、思えば、娘の学年の子どもたちは幼稚園生の時からとてもやる気がある子が多いと言われていた。
毎年、担任になる先生方が口を揃えて言うのだから、たぶんそうなんだろう。
それぞれの幼稚園、保育園で不思議とおんなじような印象だったってことは、干支が関係あるのかしら。。
優しくて力強い…丑年あるあるなのかな。

その全体の雰囲気に娘が育ててもらえた部分は多分にあるし、育ちあっている様子をわたしも見てきた。お友だちパワーはかなりすごい。

「どの委員会活動だって、やる気で取り組んでたらきっと楽しくなるよ。
立候補のチャレンジをしたことがもうすでに意味があるんだから、また経験値があがったんだよ」

って言って、背中をさすっても体は強張っていて、わたしの言葉にはちっとも納得ができていないことが感じられた。
確かに、上っ面な誰でも言える言葉だな と自分でも感じていたし、言葉を発しながら口に違和感があったからわたしの本当の気持ちじゃない気がしていた。
そもそもそんなこと、娘は言われなくても分かっていることをわたしは知ってた。

でも、親の立場で言えるのってこういう事になっちゃうでしょ?他になにがあるんかな。
って考えていると、頭の中で思い出の箱がパカっと開いた。。

あー、、あんまり思い出したくなかった。
でも、"たかが委員会選挙" じゃないんだと思い出してしまった。

わたしも5年生の時に児童会の副会長の選挙で落っこちたんだった。

ただ、わたしの場合は他薦だったから
"別にわたしがどうしてもやりたかったわけじゃないよ"
という顔をしてやり過ごしたけど実際はすごく胸が痛かったんだ。あ〜〜。

泣いた覚えはないけど、父親にそのことを話した時に
「今回落選で、ある意味よかったんじゃないか?
人間謙虚さが大事だから、それを学べただろう。これで当選してたら調子に乗ってしまってたかもしれないしな。」
と言われてモヤモヤ、、
あれ?わたし結局恥ずかしい思いしただけ?
謙虚さを学ぶってこう言うことなん???
でもお父さんが言うんなら、そうなんやろうな。。落ちてよかったんか。

次の日に担任の熱血先生と話をしていて、父の言葉をぽろっとこぼしたら、
「え?お父さん意味わからんこと言うなぁ。
お前、頑張ってたんだから受かった方が良かったに決まっとるわ。」
と言われて、ヤバい…と思った。

そのころのわたしは "父親教"の熱心な信者であり、母がハマっていた宗教が提唱する 
"因は己にあり" をしょっちゅう聞いていたことで「お父さんは絶対的存在」「愚痴や人のせいにすることはタブーで、全ては自分の結果である」という思考回路を勝手に進んでいくという脳の構造になっていた。

"ヤバいヤバい"
父親を否定されるのはかなり困る事なので、その話はそこまでにした。
そして出した結論は

"うん。落ちてよかったんよ"

自分の気持ちとか、、虚しくなるからいいや。
そしてパタンと箱を閉めておいた。

その辺のことを思い出したら、娘がいないところで無性に泣けてきた。。
当事者である娘が泣くのはまだしも、母親が子どもの委員決めで泣くって感情移入しすぎてる。。
これは過保護ならぬ、過干渉…なおかつ自分を重ねすぎてるんだわ、、良くないわ〜、、
とかって分かりつつも涙が出る。どうしよ。。

気持ちがでてきちゃったものだから、結局取り繕えなくて、アラフォー母親と娘が2人でべそかきながら
「頑張ってきたんだから、どうしてもやりたかったんだよね 悔しかったね」
と"親として"とかの配慮も何もなく、ただ自分たちの気持ちに集中して話をして抱きしめた。

「え?たかが委員会だよ?なに大袈裟にしてんの?!やだ、恥ずかしいよ。」
の思考に "うるさいんだよ" と蓋をしておいた。

いつもの就寝時間の2時間後にやっと、腫れぼったい瞼の娘は眠りに落ちた。

朝になって、意外と普通の時間に起きてきた目の腫れた娘は、アイスノンで目を冷やしながら
「今日は学校行きたくない。」と言う。

そこはちょっと踏ん張ってほしかったので
「あとで振り返った時に、ここでもうひと息頑張って学校に行くのとお休みするのとでは、きっと行けた自分の方が好きと思えるよ」
とか言ってみたが、またもや効果は無く。
うーん、なかなか手強い。
そろそろわたしも「いつまでやってんの!?」と口から出てきそうでモヤモヤ。。

夫が色々と話をして諭してくれたのが伝わったのかどうなのか、少し持ち直した様子で登校して行った。ひとまずよかった。

お昼になって、ちょうど母の病院のことで父に連絡を取った時に、娘の大泣きの話をチラッとしてみた。
すると、
「〇〇(娘)立派やと思うぞ。立候補したんやろ?大したもんだよ。少々泣くくらいいいわ。しっかり褒めてやったら良い。」

ベタ褒め。。お父さん、、もしかして涙声?
あれれ?わたしの時とはだいぶ違うぞ。
これが子どもと孫の違いか⁈

父の話を聞いてみたら、自薦でやりたい事に向かって行った娘の姿勢を讃えていた。
わたしの事も話に出て、
「お前がそういうのをする時はいつも推薦やったやろ。確か。そんなに立候補しとった覚えないぞ。」
なるほどー。確かにわたしの時とは違うわ。
わたしは最初から逃げ道確保してたわな〜。
できるだけ傷付かんように、そういうこといつも考えてた。たぶんカッコつけたかった。
でも、それは今思えば"守ってもらえる"って感覚があんまりなかったから自分の尻を自分で拭ける範囲までしか冒険しなかった…ともいえないかな?

30年近く前のことを思い起こして自分をなぐさめてるって…あ〜、恥ずかしい。


学校から帰ってきた娘は、まだスッキリとはしていなかったけど、
「楽しいことも少しはあったよ」
と言って帰ってきた。
「あとね、昨日はお母さんに言えてなかったけど、〇〇ちゃん(新会長さん)に『おめでとう』って私昨日伝えてたんだよ」
と。
その子とはお互いタイプは違うけど気が合うようで普段からよく遊んでいるから、その言葉を伝えられていたならよかったなぁと思った。
ちなみにわたしもその子がだいすき。

父は、お酒が入るとすぐ昔話が始まり、自分が学生時代に児童会長や生徒会長をしていたことや野球でキャプテンを務めたことを自慢していたけれど、確かそれも先生や友だちの推薦だったと言っていたよなぁ。。
何度も同じ話をするから聞いてて恥ずかしかったけど、立候補した娘のチャレンジのあと、これからその話はしにくくなるんじゃないかな?

娘の行動から、あっちとこっちで何かが溶けた気がしている。

*5499501176_52929さんのお写真を使わせていただきました。ありがとうございます。
スィーっと氣持ちいいほど真っ直ぐな飛行機雲がきれいです。
以前は自分で撮った写真をあまりなにも考えずに使っていたのですが…
氣持ちとしっくりくるものに変えたくなって、こちらのお写真に登場してもらいました^^

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