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「月に行きたい」未満の夢で生き永らえる話―小林賢太郎さん引退に寄せて―

 生き永らえさせてくれる、遠いけれど具体的な夢がある。

 「2千兆円欲しい!」はおまじないだけれど、「昇進すると月収が5万上がるうえに手当がつくらしい」「そしたら毎朝スタバを気にせず買えるかもしれない」は遠いけれど具体的な夢だ。
 「月に行きたい」は生きているうちには叶わないかもしれないけれど、子どもの頃に訪れたあの旅館にもう一度行くことや、あのころ雑誌のなかで見た外国の街のマーケットで買い物をすることは、叶えられるかもしれないこと。

 それらよりもずっと、自分の力ではどうしようもないけれど、距離も、夢としての力も、同じくらいのものが私にも2つあった。

 1つは、京極夏彦先生の『鵼の碑』を読むこと。
 もう一つが、もう一度、ラーメンズの本公演を観ることだった。


 多くのラーメンズファンがきっとそうであるように、私の人生のなかにも、ピンを打ったように鮮烈な思い出がいくつもある。
 なんせ、密着してしまうのである、ラーメンズは。

 今でもそう言われているのか、この概念があるのかはわからないけれど、私が特にそうだったころ、ラーメンズのファンのあいだでは〝あの時期〟という共通の認識があった。
 〝あの時期〟とは、何を聞いても何を見ても彼らの作中でのフレーズが過ぎり、口に出してしまうという、つまり、ハマりたての大変香ばしい時期である。日本の首都が千葉滋賀佐賀なのは当たり前だし、変と言われたら「変イェーイ!」と叫び、イチゴは赤いし、好きなことがうまくいかないと「向いててぇ~」と絞り出したりする。

 そんな時期もきちんと通過していた(思い出すと結構恥ずかしい)オタクだった私が、今回の小林賢太郎氏引退の報を聞き最初に思い出し、反芻し、いまでも感情が生きている思い出を残しておきたいと思う。


 2006年KKP#5『TAKE OFF―ライト三兄弟―』
 私は本多劇場の最前列上手側にいた。これが生まれて初めて小林さんを生で観た日であり、当然ながらもっとも至近距離で観劇する機会だった。
 ネタバレしないよう薄目で見ていたネット上の評判は上々。お洒落なフライヤー。高揚する演出や音楽。連続する笑いと楽しい雰囲気。正直、興奮しすぎてあまり具体的なことは覚えていない。ずっと眩しいと感じていたのは、瞳孔が開いていたからなのかもしれないと今更思う。
 とにかく、私はずっと、ワクワクし過ぎて溺れたように息を詰まらせていた。
 そんな時である。
 会場一体となって盛り上がる演出。煽られた客席はみんな立ち上がり、演者さんたちのノリに合わせて体を動かしはじめた。
 小林さんはさらに煽るように客席に近づいて、手を掲げる。
 ハイタッチだ、と瞬時に理解した。
 客席を覗き込む顔に影が落ちる。私はそれを見上げている。
 「本当にいるんだ」と思った。
 左隣のおじさんが手を上げて、楽し気に小林さんと手を合わせた。
 私は腕を上げかけたまま、その姿を見送った。

 決して引っ込み思案な性格ではなかった。むしろ目立ちたがりが服を着て歩いているようなタイプだった。だけど時々、未だに、大事な場面で日和ることがある。気負ってしまい、怯む。この時も、それが出た。私は、憧れ過ぎて、好きすぎて、気負い過ぎて、いっぱいいっぱいで、これ以上が怖くなって、手を上げられなかった。

 その時は、そんなことはすぐに忘れて高揚のなかに戻ることができた。
 当時演劇の道を志していた私は、「自分も貴方のような創り手になりたい」といったことを、ボールペンのぐにゃぐにゃな字でアンケートに書きなぐったような気がする。おそらく小林氏が何千回と受け取っているであろう内容だった。
 以降私は、小林氏の舞台作品のほとんどに足を運んでいる。ラーメンズの本公演は『TEXT』も『TOWER』も観た。やっぱり毎回、憧れのような気持ちをアンケートに残していた。

 初めての劇場での経験から十五年ほどが経ち、結局私は演劇には関わっていない。
 一方、表現することは好きなまま、趣味で文章を書き、いまは編集者になった。遠からず、というにはやや遠い気もするけれど、この仕事に就いて、(芸能関係はほとんどないけれど)会ってみたい人に会える機会は増え、その機会を文章で表現することもできた。
 会いたい人には会えるのかもしれない、という漠然とした気持ちのなか、会いたい人を思い浮かべるとき、そのなかには小林氏の姿もあった。それに付随するように、ずっと寄り添っていた夢である「ラーメンズの本公演をまた観ること」も、いずれ手の届く夢のような気がしていた。

 そんな中での報せだった。
 驚きのあと、ふいに思い出したのが、あの時手を伸ばせなかったことだったのだから、どうしようもない。
 小林氏は、表舞台から引退するけれど創り手としての活動は続けるという。
 とはいえ劇場でその姿が見たい、片桐さんと二人で並んでまた笑わせてほしい。そういうことはこの数日で何度も思ったけれど、この夢にも手が届かないらしい。今のところは。

 気負う自分も日和る自分も未だにいる。先日も会いたい方にお会いし、緊張のあまり変なことばかり口走り、そのことを思い出すと、のたうち回りたくなる。度胸のなさと未熟さに嫌になる。でも、手は伸ばしていきたい。ご迷惑をかけないように、経験も力もつけていきながら。そうしたらまた、会いたい人に会えるかもしれない。今度は表舞台の表現者ではなくなった小林氏にも。
 これは、「毎朝スタバを気にせず買える生活」と「月に行く」ことの間くらいの夢だろう。生き永らえようと思う。

 小林賢太郎さん、今までありがとうございました。これからの活動も楽しみにしています。


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