「“あいみょん”と言葉の技巧」③

第二章 言葉の技巧を支柱とする作品群


 あいみょんの楽曲の中には、「言葉の技巧」を歌詞の核に据えている作品もある。そのような作品群について、この章では見ていきたい。
 そこで、まず始めに、あいみょんの『初恋が泣いている』という楽曲の歌詞を紹介する。

 電柱にぶら下がったままの初恋は
 痺れをきかして睨んでる
 「そんなもんか?」と牙をむいて言うのさ
 あれは幻か?

 夜になればベランダから
 聞こえてくる
 過ちとかそんなのを混ぜた
 後悔を歌にしたような呪文が

 初恋が泣いている
 思ってるよりも近くで
 初恋が空を濡らす
 もしもこの夜があの子を奪うなら
 それもいいかもな

             (あいみょん 『初恋が泣いている』)

 この歌詞が直接的に描き出しているのは、“初恋”という抽象的な概念が、自宅の窓の外で泣いている、というシュールな世界である。しかし、そのような不思議な世界を描くことが作品の本当の狙いではないことは、誰でも理解できるだろう。というのも、泣いているのは、実は語り手なのである。この人物は成就しなかった初恋の傷をひきずったまま、そこから抜け出せないでいる。しかし、その状況をそのまま歌詞にすると、凡庸な楽曲になってしまう。そこで、あいみょんは、語り手ではなく“初恋”が泣いている、と表現したのだ。これは、「言葉の技巧」を使用した歌詞であり、かつ、その技巧が、歌詞を支える大きな柱になっている作品であると言える。
 さて、次に引用するのは、あいみょんの『ら、のはなし』という楽曲の歌詞である。

 君のいない世界で 僕が生きるとすれば
 それはそれはとても 居心地が悪いことだろう

 愛しい人のためなら なんでもできるつもりさ
 ただそれは 君がとなりにいてくれた

 ら、の話だから
 こんな歌気持ちが悪いだけだから
 ああ 余裕を持って人を
 好きになれる人ってこの世にいるのかな

                (あいみょん 『ら、のはなし』)

 私は、最初に『ら、のはなし』というタイトルを目にした時、これは一体何の「ら」だろう、と疑問に思った。ドレミファソラシドの「ラ」だろうか、それとも、らりるれろの「ら」か? しかし、実際に曲を聴いてみると、「君がとなりにいてくれたら、の話」、つまり、「〜したら」の「ら」だと分かった。文法的に正しい区切り方をするならば、これは「たら、の話」となる。しかし、それをあえて、「ら、の話」と区切ることで、意外性が生まれているのである。これはあいみょんの歌詞に登場する数多くの「言葉の技巧」の中でも、ずばぬけてレベルが高いものであると思う。そして、これも、「言葉の技巧」が楽曲全体の支柱となっている作品であると言える。

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