「“あいみょん”と言葉の技巧」②

第一章 言葉の技巧を随所にちりばめた作品群

 この章では、「はじめに」で紹介したような「言葉の技巧」を、歌詞のあちこちにちりばめている作品について見ていく。

 ほらもうこんなにも夕焼け
          (あいみょん 『ハルノヒ』)

  これは、『ハルノヒ』という楽曲の、第二番の歌詞の一部である。第一番には、「ほらもうこんなにも幸せ」とあり、それと韻を踏むように、第二番は、「ほらもうこんなにも夕焼け」となっている。しかし、「こんなにも」と「夕焼け」は、文法的には繋がらない。なぜなら、「こんなにも」は副詞句で、「夕焼け」は名詞だからだ。「夕焼け」の位置に来る語は、本来であれば何かしらの形容詞でなければいけない(「幸せ」は形容詞ではないが、形容詞的な意味を持っている名詞である)。しかし、あいみょんは、そこをあえて、「こんなにも夕焼け」とした。これを第一番の「こんなにも幸せ」と並べることで、正しい文法の中に、しれっと変化球を紛れ込ませているわけである。なぜ変化球であるかというと、「こんなにも夕焼け」と聴いて人々は、「こんなにも」と「夕焼け」との間に「美しい」などの言葉を補うだろう。第一番の「こんなにも幸せ」が言葉を補わなくても良いのに対し、第二番ではあえて人々に言葉を補わせる歌詞になっている。そのため、私はこれを「変化球」と呼んでいる。これは、言い換えれば、「言葉の技巧」であると言える。
 さて、あいみょんの「言葉の技巧」の中でも優れているものを、他の楽曲の中からも紹介したい。
 それは、

 全然好きじゃなかった
 ホラー映画とキャラメル味のキス
 全然好きになれなかった
 それなのにね 今は悲鳴をあげながら 君の横顔を探している

                  (あいみょん 『空の青さを知る人よ』)

 という歌詞である。この歌は、語り手が、自分の前から消えてしまった(おそらく死んでしまった)恋人のことを「君」と呼びかけて、その「君」への想いを語る楽曲となっている。この歌詞の引用した部分が我々に伝えてくれることを纏めると、以下のようになる。
 まず、語り手と「君」がかつて恋愛関係にあったという事実が、主に「キャラメル味のキス」という表現を通して分かるようになっている。「キャラメル味のキス」というのは、おそらく、映画館でホラー映画を鑑賞している際に、ポップコーンを食べながらキスをする、という意味ではないかと推測される。しかし、「君」は現在、語り手の前から消えてしまっているため、語り手は「君」との思い出を求めて、たった一人で「君」の好きだったホラー映画を、悲鳴を上げながら鑑賞しているのである。ここでは、付き合っていた時には語り手はそんなに「君」のことを恋しく思っていなかったが、いざ「君」が自分の目の前からいなくなると、途端に恋しくなってしまった、という皮肉な状況が描かれている。
 もちろん、あいみょんはこんなにくどくどと説明してはいない。しかし、省略された表現を聴き手が頭の中で補うことによって、語り手と「君」の関係性がちゃんと分かるようになっている。もっとも、これを普通に説明してしまったら何の面白味もないのであって、あいみょんが示したような形での「表現の凝縮」にこそ、本来の眼目があると言える。これも、表現を凝縮する、という一つの技術が用いられているという点で、「言葉の技巧」が施されている箇所であると言える。


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