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薔薇の馨りに誘われ飽くまで愛した青春の話をしようか

 「アクマデ」が解散してから、早いものでもう2ヶ月が経ってしまった。
本当はもっと早くnoteを出すつもりだったのだけれど、日々に忙殺されていたのと、書いたら本当に終わってしまうような気がして、今の今まで筆をとることが出来なかった。
 
 元々は、アクマデの楽曲のことや解散ライブの感想をオタクのテンションで語るだけのnoteにするつもりだった。まぁでもほら、これだけ時間が経ってしまったし、若干の出しそびれ感も否めない。
 思えば私の青春には、いつも立川ロックがあった。となればもう、完全に個人的な青春の振り返りをしてしまおうというのが、このnoteの魂胆である。

 私が高校2年の時だった、と思う。ちょっと定かではない。後輩のバンドが大会に出るというので、渋谷のO-Crestにライブを観に行った。そこで私は「薔薇のかをり」というバンドに出会い、衝撃を受けた。
 演奏技術の高さ、オリジナル曲のクオリティ、現場での人気と盛り上がり、すべてが同年代とは思えないもので、本当に衝撃的だった。それが私の立川ロックとの出会いである。
 そこから私は、誰一人知り合いのいない立川のライブハウスへ行くようになり、薔薇のかをり解散ライブまで、ぼっち参戦で駆け抜けた。『ライスレス』という曲が特に好きだった。
 その後、サポートとして活動を続けていたDr.の直井さんとBa.のユータロウさんを追っていたとき、Rorschachの『金星』カバーをTwitterで見掛け、またあの衝撃が走った。
 歌が上手い、声が良い、女王蜂なんてどうしたって本家に寄るのにオリジナリティがちゃんとある、しかも演奏が上手い。サポートとして入っていたユータロウさんが正式にメンバーになり、私の立川通いは再開したのであった。
 
 圧倒的な演奏技術に惹かれて飛び込んだ立川ロック界隈。いつの間にか、ゆうりさんの「声」に魅了されて追いかけるようになっていた。
 私がRorschachの曲で一番好きだったのは、『箒星』という曲だ。疾走感のなかに確かにある絶望感が、ローシャ時代のゆうりさんの、愛憎(憎強め)に溢れたステージングにとても合っていた。
 ローシャの解散ライブの、1つか2つ前の現場。ゆうりさんのマイクを床に叩きつけるパフォーマンスは今でも強烈に記憶に残っている。当時ライブ運営を齧っていた私は「58無事?!大丈夫!?」と真っ先にマイクの心配をしてしまったのだが、いろんなことが一筋縄ではいかないもどかしさを、十二分に受け取れるパフォーマンスだった。

 Rorschach解散のあと、やっぱり私は「アクマデ」を追っていた。ゆうりさんの声にはとんでもない中毒性があるのだと思う。
 アクマデを追うようになってから、いろんな変化があった。演る箱、客層、現場のノリ。目まぐるしくて、置いていかれないよう必死になった。立川から高田馬場て温度差で耳キーンなるがな状態だった。
 それでもやっぱり、ライブは楽しかった。特にソロで楽曲の物語性をゆうりさんが表現しながら歌う演出は、ロックバンドとしては本当に新鮮だった。
 私は『もうどうでも…』という曲が一番好きなのだけれど、歌詞は結構重めなのにライブだと皆ノリノリで飛ぶのが楽しかった。 たしかに目まぐるしかったけれど、私は拳が上がる現場も、手の花が咲く現場も、キラキラが揺れる現場も全部好きだった。同じアクマデの音楽のもとに集う、奇跡みたいな時間だったと思っている。

 高校2年から社会人3年目まで、長い長い私の青春が、アクマデの解散と共に終わりを迎えた。まぁ解散ライブの翌日からめちゃめちゃ引きずって終わりたくないよおと駄々こねているわけですが。
 子供から大人になって、自分のやりたいことをやりたいようにやらせてもらえないことへの焦燥感と、その状態に慣れつつある自分への嫌悪感、くだらない資本主義と距離を取りたいという願望、そんなものだけがどんどん積み上がっていくように思う。ある程度想定はしていたものの、「好き」だけじゃどうにもならない度合いが想定を遥かに越えていた。
 だけどこの先、どれだけ色んなことに絶望しようとも、自分が好きな音楽を追いかけた時間は無かったことにはならないはずで、自分が好きだった音楽たちは何があっても消えてなくなったりはしないのだ。その事実は、絶対にこれからの人生の支えになってくれると思っている。


 駄目だ。
ローシャとかアクマデの曲聴いて薔薇のかをりの動画とか観てたら全然まだまだ浸っていたいし大人になんかなりたくねー!!になってしまった。
 飼い慣らされてやる必要なんてないと思うので、制限のない場ではバキバキに表現していこう。

では一旦はこの辺で。
ありがとうございました。










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