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中島健人とデートする夢を見た話

 まずはじめに、この文章は2年ほど前に突発的に書いたものの、直後に読み返し大変気持ちが悪かったのか下書きに封印したままになっていたものである。
 しかし今になって読み返すと、中々パンチがあり自分らしい文章なのではないかと感じたので、ちょっと試しに公開してみようと思う。
 最初に言っておくが、これは中島健人さんのファンが読んで気持ちのいいものではないかもしれない。しかし「アイドルとは何か」を常日頃から考えている人にとっては、案外貴重なサンプルデータになるかもしれない。そのくらいの気持ちで読むことをおすすめする。(以下、敬称略)



 先日、中島健人とデートをする夢を見た。

私のジャニーズにおいての教養レベルは、一般人以上オタク未満といったところである。私は、どちらかというと菊池風磨のほうがタイプであるので、自分の無意識がケンティーを選んだことに少し驚いていた。

場所はコメダ珈琲、時間は深夜。

コメダは深夜営業はしていないけれど、まぁそこは夢ということでひとつ。

入口から丁度死角になったボックス席。4人掛けだというのに、ケンティーは私の真隣に座って、肩に手を回して話してくれた。

「遅くにごめんね。お母さん大丈夫?」

ケンティーは、開口一番に私のことを心配してくれた。
私の母は中々に過保護なので、私は自分でも、なんと言って出て来たのだろうか、と思っていた。まぁ夢なのでその辺はどうにでもなるのだろうが。

それでも、いきなり自分の話や愚痴から入らず、私の都合を気にかけてくれたのがとても嬉しかったし、さすがだなと思った。

ううん、大丈夫だよと応えて、私はただ、その整った顔に見惚れていた。

ケンティーは、「じゃあお母さんへの言い訳を一緒に考えよう!」と言い出して、

1.急にポカリが飲みたくなったので買出しに行ってました案

2.猫の声が聞こえた気がしたので探しに出ました案

3.実は夢遊病でした案

など、ちょっとそれはどうかなという様な案まで出してくれたのだ。

結局1番の案に決定して、その後もケンティーは、とことん私の話を聞いてくれて、私と目を合わせてくれて、私のために時間を使ってくれた。

とても嬉しかった。幸せな時間だった。

夢から醒めた後も、幸せと興奮は冷めやらず、私はすぐに現実世界でもケンティーの顔が見たいと思った。

 私は朝ごはんの準備もそこそこに、ネトフリでRide on timeのSexy Zoneの回を見始めた。

しかしそこに映っていたケンティーは、夢の中とは全くの別人だった。

いや、まぁ、夢の中のケンティーは私の脳が創り出しているのだから当たり前なのだけれども。

そこにいたのは、真剣に衣装合わせをし、ドラマの撮影と並行してリハーサルに臨む、まさにプロのアイドルの中島健人だった。

この中島健人は、深夜に私みたいな女とコメダで油売ったりなんかしないし、私みたいな女のために時間を使ったりしない。寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んでいるのだから。

 そう悟ったとき、不思議と悲しい気持ちにはならなかった。むしろ、私が創り出した夢の中のケンティーより、現実の中島健人の方が、何倍も素敵で魅力的だと思った。

手の届く距離で、となりで微笑んでもらったときの幸せな気持ちより、眩しくて、絶対に手の届かない存在だと確信したときの高揚感のほうが、私の心を満たしてくれたのだ。

 アイドルはすごい。

偶像崇拝とはよく言ったもので、その高揚感はまさに、神に少し触れられたような気がして、それでもやっぱり神は偉大だと悟り、信仰心が募るような感覚だった。




 下書きとして残っていたのは、以上である。

 欲望まみれの夢によって「ガチ恋」になりかけた私を、圧倒的なカリスマ性と仕事に対する熱意によって鎮めた中島健人さんは、さながら怒りに狂った王蟲を身を挺して鎮めた風の谷のナ○シカである。ちょっと言い過ぎか。

 おそらくこの文章で私は、「アイドルはアイドルだからこそ最高で最強だよね!」みたいなことを言いたかったのだと思う。正直今のタイミングでこんな事を言うのは、捉え方によっては喧嘩を売っているようにとられても仕方ないのだが、過去に書いたこの文章は、その事がなかったとしても私は同じこと考えていたのだという証拠になりうるだろう。

 とはいえ、応援していて心地の良い距離感というものは人それぞれである。あくまでもこういう奴もいるのだという程度にとどめて、自分はどうなのかということを考えるきっかけにしてもらえたら、それ以上嬉しいことはない。
  


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