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暇と退屈の倫理学を読み丸【読書感想文】【ネタバレ】

暇と退屈の倫理学の読書感想文。読書感想文なんて久しぶりに書いた。
一応ネタバレに当たると思います。
こういう本でネタバレなんて言うのか?とは思うけど。
ちゃんと通読したい!だとこの記事読まない方がいいかも。

考えさせられた。
それも、浅い意味じゃなくて文字通り。あんまりいい意味じゃなくて。

「考えることができてよかったです!」じゃなくて、「なんか考えなきゃいけなくて苦痛でした!やらされてるみたいでした!」という意味。
これ途中で離脱しちゃうわと思って朗読して、録音して苦さを残そうともした。

20時に読み始め、一息に読むことを想定されている書き出しを見たし一度離脱すると一生たどり着けない気がして、気づいた時には深夜4時だった。ひとつの講義を履修するほど聴かされた気分で布団に入ったのを覚えている。

まずカタカナの語句に躓くし、「なんてなんて!?!?!?!?」となる。この録音も最後の「待って待って待って………」を切り抜いてある。

かみ砕き、かみ砕き、柔らかくして飲み込むも、吐き出す。吐き出したのをみて、そういうことだよね…?となんとか理解するものの、これがどこに向かっているかを見失いそうになる。

哲学書や倫理学の評論なんて、入門書といっても読んだことがない。これがジャンルの何にあたるかも知らずに読んだ。

読み終わった後、これを薦めてきた母に口頭で「哲学すぎたわ……」というと「倫理学ってそうでしょ」といわれてしまった。
倫理学ってそうなの?倫理学ってそうなんだ。ってレベルでこの本を読んでいた。

面白かったか面白くなかったで言えば面白かったんだけど、求めていた面白さかって言われると……それも首をかしげたくなる。
間違いなく「学び」ではあった。

だから「面白かったですか!?はいかいいえでお答えくださいね!?!どっちだい!?どうどう!?!?」に答えられる感想文にはならないと思う。

積極的にオススメはしないというか、同じ物好きなら好きなんだろうね~、って返すというか。
その点、ANNでラジオのイメージが強いオードリー若林さんの推薦帯がついているのは正解というか。

スッキリはするけど、かいつまんでいくとモヤが残る。ただそれでいいんだよな、と思える諦観みたいなものがこの本にはある。

先に書けば、僕の基本的な考え方と何も変わらなかった。
たぶんこういうヘンテコな本を読みたいと思う人、読み通してしまう人みんなにもともと備わっている考え方だ。

再度スポットライトを当てたような、知ってたけどスッキリさせにきているような終わり方。だから「ネタバレ」みたいな単語を記事の先頭に書いた。「見透かされててちょっとムカつくな」と思うのは、たぶんこういう本においていいことなんじゃないかな、と思う。

倫理学を道徳学と言い換えるなら、そしてそれを説く本なら、そもそもこれを読もうと辿り着く人に自分なりの倫理なんて当然あるのだ。
だからこそ読んでほしい、と読んだ人が云うのもわかるけど。見てわかるようにちょっとだけムカついている。面白いだけにムカついている。

どうしてムカついたかって、僕が本を読まないくせに考えがちな人だからだと思う。

「話が逸れたわ」とこの書が云う時にはもう逸れているように感じる。
この書で「いや40°くらい逸れちゃいましたね~」のテンションで書かれている時、読んでる僕は「いや120°くらい逸れてたよ」と思っている。

ただ最終的に結び付いてはいるし、その話題が「学・知識」そのものではあった。数えるのも面倒なほど、有名な哲学者の名前とその考え方が出てくる。20人は越えていそうだ。

第二章から第五章あたりまで、ずっとこれが続く。
ただなにか最後には結論を絶対に書いている、と思いながら読み進める。
薦める全員が満足したように薦めるからには何かある。

よく言えば丁寧で緻密、悪く言えばまどろっこしくて難しい。
ただ音読していくと、本当の哲学書や論述に比べて文のテンポもよさそうだ。
どうしてそう思うかって、哲学書の引用をしているところに「これの要点を~」と書いてあって、その要点すら既にだいぶ難しく感じるのだ。

読みやすい。「外郎売」みたいな練習文とまではいかないけど、口に出しても読みやすかった。この感想は、僕が普段読書をしないからだけど。

くどくて右往左往する哲学的な書き方が自分に似ているな、と思った。自分ってちょっと哲学的なんだ、という学びもあって。

「ウサギ狩りはウサギが欲しいんじゃなくて気晴らしが欲しい」とか「退屈の反対が興奮」とかは立ち読みや動画で事前に知っていたから、ふむふむと滞りなく読めた。
なんならこの紹介で面白そうと買い読んだまである。

読み進めていくと、思った以上に重かった。
まどろっこしかったけど学びはある。


たとえば、定住革命。
かみ砕くと、類人猿は移動が本当はしたい、と。それが余った大脳を大きく使えるし、定住している方が歴史から考えて異常だと。

そうだろうな。僕も最近、散歩をしていてそう思う。移動は無条件くらい楽しいのだ。「移動欲」についてのツイートのまとめみたいなのがあったのも思い出した。

アウトドアな趣味のふりをした、楽しみ方だけでいえば一番インドアな趣味だと思う。

風景を見て「あの頃はこれをしていた、あの時こうだったのが今はこうなった、これは何故こうなのか」って気づきを満たして、何かに生かそうとするのはどちらかと言えば文学的だ。

例えば狭いテニスコートに留まってその球を追いかける、壁を器用に登るための専用施設(ボルダリング)を極めるというのは、「頭を使う」って側面はありつつも「体をどう動かすか、それをどう上手くなるか」の部分で楽しんでいる。

散歩、もとい移動は根源的だ。「じっとしていられない」の典型例。
本当に余っている脳を無理なく刺激しているだけに思える。

これを一日中座って、例えば考えたくなる情報のひとつも得ず、布団でおねんねだけしていたら気が狂う。脳がデカすぎるから。
猫が寝子と呼ばれたほど寝ることだけできるのは、きっと脳が小さいから。変な意味じゃなく。

無職になって3か月だけで「外に出た方がええわ!」とおもむろに散歩し始めたことなんて何度もあった。
なんなら一番納得感が強い記述はここの「定住革命」だった。そもそも移動って楽しいよね。

たとえば、退屈の分類。
わかりやすいけど、なんか言いくるめ感は否めない。
確かに具体例に覚えがある。

労働と労働、合間一日の休暇のローグライクゲーム。
参加したくて参加したもののあとになると満たされた感じのしない飲み会、遊びの集まり。
布団の中でふと、通勤移動中にふと襲ってくる、得体のしれない長い時間。

なんならこの僕の例、近似というかそのまま書いている。
そうだわね~、と思いつつ、そうだけどもさ……。って気持ちになる。

哲学・倫理学だからそりゃ結論だけで解決しない。考え方が書いてあって、それの捉え方次第であって。


別に僕が暇と退屈に大きく悩んでるってほどでもないが、知りたかったことが自分の中に既にあった。

わかっちゃいるけどヨ!と蹴っ飛ばしたくなる本だった。説教臭いかって言われれば、そういうわけでもないんだけど。「知りたい」と思っているのはやっぱりこっちだし。

ただ、ここまで感情が揺れてるのは
「以下の結論だけを読んだ読者は間違いなく幻滅する」
「通読する過程を経てはじめて意味をもつ」
「読者はここまで読み進めてきたなかで、自分なりに本書との付き合い方を発見してきたはずだ」
「既にあなたは何事かをなしている」
とあるからなんだろう。

ここが一番本質的に感じて、タイトルにネタバレなんて書いたのもこれを引用しないとその揺れが解説できないからだ。

この恐らくネタバレにあたるであろうものを書かずして「物好きならオススメです!」と感想を書くことは、僕にはできない。

有無を言わさず面白い時には触れないが、この本が有無を言わさず面白いとは言えなかった理由。
それが「通読してこそ発揮できる」というネタの構造だと思う。

ガッツリ書いちゃうなら、
・「思い煩いすぎるな」
・「贅沢をしろ」
・「思考し楽しめ」
だった。

贅沢というのも、際限がある/底がないものでない、自分が本当に求める物を受け取る!みたいな意味らしい。使わされる消費じゃなくて、心から楽しめる浪費。

確かに通読しないとこの本における「浪費」と「消費」の違いなんて屁理屈がすぎる。

「環世界/不法侵入」「ひきとめ/空虚放置」なんて引用も、言い方の問題すぎて哲学者ってまどろっこしいんですね!って思っちゃう。

思考実験・歴史とその結果はWikipediaを覗いちゃう人間としては面白かった。シグナルに関連したミツバチやダニの話とか、「フォーディズム」って生産方式とか。
他人の思考だけだと現実味がないから、具体例の方がありがたい。

「面白くない時もあるけどさ、考えて楽しんだらやっぱ面白い時もあるよね!考え方ッスよ!」みたいな。
日記に何回おんなじこと書いたっけ、って思うくらい僕のベースの考え方だ。だから読んじゃったんだろうとは思うけど……。

この結論だけ取り上げて非難しても無駄だゼ☆みたいなことも書いてある。それはそう。だからまあ、帯に書いてあるような涙はなかった。
オードリーの若林さんがこういう本で涙する人間でよかったな、とはなんとなく思うけど。

この本を2011年に日本人が書き上げているんだな、っていう驚きもあった。
娯楽を考える人にこそ刺さってるんだな、っていう納得もあった。

でも絶対に読まなきゃ損する本じゃあない。
この本自体もそれを推奨していて、何かに属したり、何かの思想ひとつに偏ることを軽く非難している書き方とすら言える。

なんかこう、書いていることは難しくて回りくどくてまどろっこしくてモヤモヤしていて小賢しい。

なのに辿り着く先自体は、しょうもないことで笑い笑わせようとする、芸人らしい/娯楽らしい/エンターテイナーらしいことだった。

こういう一極に振れられない感想になるわな。大きく影響を受けているとも言えるし、元からこうだったから影響がなかったとも言える。

あと全く本筋に関係なく気になったのは、3回ほど出てきた「この点はどれだけ強調しても強調しすぎることはない」という独特な言い回しだ。

料理研究家、バズレシピのリュウジを思い出して読んでいた。
リュウジさんも「これあの自分の好みに近ければ近いほどいいんでぇ~」みたいなことを飲酒しながら言う。ホントかよ、とそのたびウケていることに思いを馳せる。

それに、難しい言い方をしている時、イマジナリー関西人が出てくる。
実況の村上信五、解説の服部平次がでてくる。このチョイスはコテコテで胡散臭く論理的なことも言いそうで、その方が面白いから。

「せやからホッブズのいう自然状態は、ルソーの考え方における社会状態っちゅーわけや」
「まってまって、ほなそのルソーの考え方はどういかすんや!?」
「本来性なき疎外……これを覚えてほしいんや。なあ和葉ァ!!」
和葉を登場させてなかったな、と思いながら読み進める。

ゆっくり/VOICELOID解説みたいに、あるいはゆる言語学ラジオみたいに。
好きで読んでるのに、修行みたいで、講義みたいで、たまに退屈。関西弁にするのは、難しくないと思い込むため。

それくらいのエンタメ性を付与しないと読めない本だった。そうでもしないと退屈だった。これが僕の「本書との向き合い方」だった。

あくびも出たし、なんなら今生きる世界がそうだ。よくわかんなくて、退屈。

選んだように不登校になってしまって、楽しみたいけど楽しくなくて。
退屈で、だから楽しもうとして考えて、贅沢して、退屈で、憂鬱で、ああやばい、ダメだ今泣くんか。ダメだ~。若林だ~。

だから一つ目の、真っ先に掲げる結論が「思い煩う必要はない」だったんだろう。
ここまで読みたがる人間に、倫理は既にあったんだ。

読者がエンタメ性を付与していることまで見透かしたように、わざと小難しく書いたんだって思ってしまうほどに、結論が露骨にスッキリさせにくるものだった。

いい本だけど、オススメしたくはならないってのが近いのかな。
生きづらい無職には割とオススメです(?)。

なんだろうね~。
でも「なんだろうね~」がこの本の模範解答の気もするんだよな~。

書いてて思い出した、好きなバンドの好きな曲を貼って終わっておきますね。

妄想で笑うだけじゃない!

こなまるでした。

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