見出し画像

取っ散らかる鳥、取り留めない日記 23/10/30

なにをしたのか、あんまり覚えていない。
人様に見せる可能性がある日記として「なにをしたのか、あんまり覚えていない。」から書き始めるのは好ましくないけど、構想を先に練り上げようにも構想なんて考えている間に飛んでいって忘れてしまう。

座っているのに鳥頭だ。
「ニワトリは3歩歩くと忘れる」なんて言うけど、こちとら3単語書いただけでも、3行ネットの文を読んだだけでも、全て忘却の果てに飛んでいく。
そもそもニワトリの脳の機能において、覚える必要があることなんてひとつでもあるんですか?
そういえば前職は飲食業だったから、ホールでじたばたしている間に全て飛んでいって大変だった。
この必要ない疑問から、改行して思い出しまでの脈絡のなさからもわかるように、座っているだけで脳の中のニワトリはジタバタしている。

逆に3単語あったら白紙でも書ける…もとい空のノートにも羽ばたいていけるわけで、とりあえず「おぼえてないです~」って書くことでウォーミングアップとしている。
ここまで書くと正直ぼちぼち思い出しているから、ここをまるっと消したって日記にはなると思う。
口語でダラダラ書き始めるのは連想ゲームの取っ掛かりであり、手と頭を温めているだけでもある。ラジオトークにおけるジングル前、みたいな。



図書館で借りた本の返却とハローワークへの相談、散歩を兼ねて外へ出た。
思い立ってすぐに行かないと気持ちがしぼんでいくから、特に下調べをしなかった。

たどり着く直前に図書館が休館日だったことに気がついた。
一度は返却できないと思い込み引き返して、次の目的地を探す。

お腹が空きすぎていたから、カフェレストランに寄った。
前の職場の上司がもともと勤めていた店だ。
ずっと前から話のタネにするために寄っておこうと考えていたのを、いまさら果たすことにした。
自分で自分のことが愛嬌があるとは思えないが、「愛嬌があるフリをするコツ」は掴んでいるのかもな~と思う。
無意識にできたらそれが一番楽だけど、意識的にそういうことをやるからしんどいのかもしれない。そもそも愛嬌で戦おうとするべきじゃないかもしれない。なにもわからない。

退職後に連絡を取っていなかったので、足掛かりにご飯の写真をLINEに送り飛ばして、元気ですよ~なんて二言ずつほど返信を交わした。
縁が切れないように感謝を伝えているように見えるけど、コミュニケーションとしてこれが正しいのかもわからない。
雰囲気でコミュニケーション愛嬌バトルをやっている者だ、たのもう!

ごはんが3合ほどのカレーに、巨大なチキンカツとハンバーグが乗ったプレートを注文してしまっていた。
報告をするためにちょうどよかったのと、シンプルにお腹が空いていたからだ。話題にしやすくて、元気っぽい。
自分で大食らいの自覚はないけど、胃の許容範囲は広いんじゃないかと思う。

なんとか完食して食事記録をつけてみると、既に今日の目標摂取カロリーをすこしだけオーバーしている。
今日の食事は、これで終了らしい。

食べ終わってから、休館日でも返却ボックスから返却できることを思い出した。胃袋がパンパンのまま同じ道を二度通る。

胃袋がパンパンの状態で、同じ道を同じ進行方向で通ったことはなかったな。
もはやそういう比較実験みたいだった。案の定、外に意識が割けずに2回目の風景はあまり覚えていない。

本を返却して落ち着くと、このままハローワークに寄るだけ寄って帰るのはもったいないと感じ始めた。
レストランではカロリーと満腹感を恐れてドリンクを飲んでいなかったけど、落ち着いてからはお茶が飲みたくなっている。
軽く調べて、お茶屋さんに寄った。
インスタント緑茶が思いのほか自分にあっていたから、体験として良いものを飲んでみたいと思って。

高架下にある平日昼間のお茶屋さんを遠くから覗くと、お客さんがいないように見えた。
看板娘みたいな店員さんと、事務員みたいなおそらく偉い女性、すぐ隣の作業場で製造っぽいことをしている作業衣の男性だけが店内にいる。えらく雰囲気がいい。

入るのにちょっと勇気が要るから店の前でポスターやらメニューを見ながら立ち止まっていると、華奢な店員さんに是非どうぞ~と外に出てまで案内された。
それを待っていたわけじゃないけど、普通に嬉しくなってしまった。

お茶が目的と脳で4,5回唱えてから「あの店内で飲んでみたいんですけど~…」と口に出してみた。おどおどしていたので、かなり見るに堪えなかったと思う。積極的に店に案内されただけで心が揺らぎすぎだ。

席に案内されてから、一杯400円の抹茶を頼んでみた。
待ちながらキョロキョロして置いてあるお茶のコラム紙を見たり、ネットでお茶の飲み方を急いで調べたりしていた。待っているだけなのに、なんか勝手にあたふたしている。

提供されてから、作法をなぞり誰もこちらを見ていない時に飲み始めた。
思っていたより量がある。
見た目飴玉のように包まれた和三盆糖も主役のお抹茶も、おどおどしていた心がほどけるような、まろやかで落ち着く美味しさだ。
お口直しに緑茶お持ちしました~、と運ばれた緑茶もスッキリとしていて当然に美味しい。

退店後の風が心地よかった。店員さんが絵に描いたような看板娘感だったので、「しゅき……」となりそうな感情を「エモ……」に変換しておいた。

お茶屋さんに寄っただけで、僕はこうも気持ち悪く日記を書けるのか。という気づきを今得ている。

ハローワークに到着して、「失職認定日までに具体的になにをしておけばいいんですか?この国家試験受けたのはどういう判定ですか?」と相談すると「この別日にある説明会に出席される時点で、認定は大丈夫ですよ」と答えられた。しばらくは考えずテキトーに過ごすのが吉らしい。

帰りながら友達をボードゲームに誘い、帰り着いてから遊んだ。
15時から始め解散後にネットを見て、気づいたら夜になっていた。
ここも掘り下げようと思ったら掘り下げられるけど、自分で読み返すにしてもあんまり長いと疲れるからやめておく。
兄経由で知り合った、時間の都合があり得ないくらいにつく友達のことは、本当に書くことが思いつかない時にでも書くことにしよう。


昨日の日記がいつもよりスキされている。

露骨にうまいことを言えて面白く書けた実感がある時は、反応がいい。
自分が読む側に立っても、伝えたいことがひとつも感じないよりは「こういう結論でした」と書いてある方が読みやすいし反応しやすい。

エッセイ的な抒情や思想をこめることができると、確かに読み物としては面白い。
タイトル的にもパンチラインのフレーズがあると結びつきやすくて、面白く書きたいなら毎回それくらいになるまで筆削してもいいのかな、なんて思った。

ただこの日記の取っ散らかり方だけでわかるように、もうそんなことしないのだけど。
というよりは前から何回かソレをしようとしたんだけど、結局は自分のために書いているところが大きくて実行できなかった。

でも今日のフリみたいな単語でなぞかけをするなら、なんだろうな。

「取っ散らかった目的の薄い散歩の体験記が、それぞれまた余談で取っ散らかっててウケる」を、冒頭の「ただでさえ鳥頭のニワトリ数羽が、それぞれニワトリ小屋で右往左往していてウケる」に変換するのがいいかもしれない。

そんなジタバタしているニワトリみたいな日記を面白いと思って見てくれる人たちが、本当にありがたい。
見るに堪えず気持ち悪いが勝つ人もいると思う。ゲームをプレイするみたいに日記を書いているから、ひとりよがりで長いって言われたらちゃんと傷つく。

…書いていたら昼に食べたチキンカツの油が上がってきた。気持ち悪いって書いたから、鶏に怒られている気がする。僕はもうニワトリとかカツとか書くのやめてください。

ただの記録になりつつあるけど、一番書きたいのは読んでくれてありがとうございます。ってことです。
ニワトリのサムネイル用イラストは、使ってるサイトになかったです。

こなまるでした。

フォローとスキを求めています