お花畑に生きたいな
無職だ。高卒の22歳。
職を失って2か月ほどは散々無職を認めない供述を繰り返したのだけど、無職は無職だ。
空白期間特有の面白さを味わって、一時的に無職なのは全然構わないと思い始めた。
そもそも「無職」という言葉が面白いのが良くない。面白いもの大好き人間にこういう肩書きを与えるなよ、居心地よくなっちゃうだろ。
存在しない職をあると言い張ることでユーモアになるギミックは、帰宅部と同じだ。
他の言葉で代替がきかないから、書類の職業欄にも無職と書くことになっている。
役所において一番面白い項目にレ点をつけるたびに、なんかおかしくって頬が緩んだ。
おかしいのは無職というチェック欄ではなく、無職になっている自分自身の脳みそだ。頭の中お花畑かよ。
応募するにあたってのテーマが「完璧な日曜日」らしい。
こういうおかしなメモみたいな文体を取っているからこそ、テーマに直接触れられる。逆にそれ以外で自然に盛り込むのが自分の技量では難しい。
完璧な日曜日。ぱっと見、今の自分とは全く関係ない。
曜日感覚が全然ない。テレビも見なくなったし。
ニートの書き出しから発進して、テーマに関連した着地点が
「今は人生の大きな日曜日みたいなものです、大事な時間だね!」か
「働いて最悪の平日があるからこそ完璧で楽しい日曜日があります、これから頑張ろう!」しかない。
思いついてすぐそれで行こうとも考えたんだけど、あんまり自分の真意じゃないなと思って書けなかった。
嘘くさいというか、あまりにも勧善懲悪すぎる。
真っ当すぎてちょっと政治家の演説みたいというか。
上手いことは言えてるんだけど、社会のためすぎるというか。
大衆に聞かすためだけのモノすぎて、実行はしない感じというか。
この文体で真意じゃないことを書いちゃうと、面白さが半減する。
ノンフィクションドキュメンタリーにフィクションですって書いてあったら冷めるし。そりゃ本当に真意なら書いてた。小説ならそういうオチにしてた。小説書いたことないけど。
今でも「頑張ろう!」みたいな気持ちは正直半々だ。
頑張った方がいいし今も大事な時間ではあるけど、それを糧に気張りたいとは思っていない。バーベル上げる筋力がないのにバーベル上げると骨を折るし、気張れない人間が気張っても精神が折れるのだ。
じゃあ僕の「完璧な日曜日」に対する見解はなんだろう。
一番最初は「パーフェクトサンデー……ソフトクリームすぎるだろ……」だった。もうね、チョコソースかかっているのが透けて見えた。
気づいたらストレス性の腸炎になってしまい、乳製品と冷たいものが本当に食べたい時以外食べられない。もともと大好きなのに。
おおもとの原因はウイルス性胃腸炎で、ストレスを感じやすい人はそれが慢性的なものに変わってしまうらしい。
見解なんてない。当然。
テーマとして取っ掛かりはかなりあって、拾いやすく良いお題だと思う。
それでも完璧な日曜日と無職は少し遠い。無職には曜日がない。
もうBGMにはおジャ魔女どれみしか流れない。きっと毎日が日曜日、学校の中に遊園地、ヤな宿題は全部ゴミ箱に捨てちゃえ、督促状は一旦閉まっとけ、頭の中はお花畑だ。
頭の中お花畑じゃないと、「君の得意な通りにテーマに沿って一時間書いてください」って言われて"ソフトクリームに涎を垂らすガキ"にはならない。
ということで僕の「完璧な日曜日」への見解は「頭の中お花畑であれ」だ。
……そもそもエッセイ自体がタメになることを絶対に書かないといけないものでもない。日曜日が完璧である必要もない。
テーマは「完璧な日曜日にするには?」ではない。
見解も何もテーマのイチ単語でしかない。
ともあれ「頭の中お花畑であれ」をもっと具体的に書くと、「考えずに楽しくいよう」だ。
楽しく生きることができれば、休暇も自ずと有意義なものになる。
完璧も何も、そんなの感じ方の問題でしかないからだ。
この前、知り合いに「仕事やめてから毎日楽しそうだね」と声をかけられた。
今の僕を遠くから見ると、確かに楽しそうだ。
まあね、今確かに空白期間だしさ、特に次の職が何かも考えちゃないしさ。
アレだよね、でっかい日曜日みたいなもんだよね。
日曜日っていうか、必要な休暇?
週休2日制って休んだ2.5倍働いてるじゃん、最悪な気分で2年半働いたってさ、3か月休むのなんてもはや土曜の午前終わっちゃいました~くらいの焦りなわけ。
ここからまた働きに出ようなんざ、マジで偉いよね~。ある?土曜の午後からまた始業して華金まで突っ走ろうなんて。
いや~!張り切っちゃおっかな~!!
ほら、やっぱりあってるじゃないか。オチも考え方も。
すみません。なんとか働きに出ようとはしてみます。
こなまるでした。