見出し画像

感情の閾値が低いかも【雑記】

日記だけだと書きたいことが溜まっていくから、思想強めの雑記をたまに書くことにした。

「𓏸𓏸すぎる」と口にすることが最近よくある。

嬉しすぎる、ウザすぎる、悲しすぎる、楽しすぎる。喜怒哀楽どれをとってもオーバーに見えるほどの表現をすることがある。
「怒=ウザい」には目を瞑ってもらいたい。

僕の感情にしきい値があるとしたら、低めに設定されているのだと思う。

しきい値というと、「ここからここまでは楽しいとはカウントしません!拾いません!」みたいなやつだ。
ネットだと本来はマイク設定なんかでよく目にする。

振り返ってみるとほんのちょっとのことでも一喜一憂するし、しかもそれを結構長く覚えている。

感受性が高いって言い方も出来なくはないんだけど。
マイクに例えて「遠くまで拾うこと」を感度、「どの量から残すのか」をしきい値だとしたら、別に感度は高くないかなと思う。

興味の範囲が感度の高さで、興味の中でどれだけ感情を拾うかが感情のしきい値、みたいに分けて考えている。
正直今考えたし、オリジナルルール感がすごい。

興味が無いものには全く感想が湧かないし、興味があるものには感情が少しだけであっても想いが残る。

興味がないと拾えるものも拾えない。
生きていてそもそも興味が無い事柄もかなり多くて、自分の感受性が高いとは思えない。
一般的な考え方と言い方なら「感受性が高い」で間違ってないけど、違和感がある。

美術館に行った時もコレ結構なんもわかんないな!と思ったし、漫画小説もあまり興味が無くて「面白い/面白くない」以前の問題になる。読める/読めないの読めないに該当する。

だからこそ、興味の中では他の人にとって「ちょっと面白いかも」くらいの時に「面白いね」って思うし、他の人にとって「本当に楽しい」くらいの時に「楽しすぎる」って言うんだと思う。音楽とかお笑いとか日記の文章とか。

最近だとネット麻雀で役満を出した時に楽しすぎるって言ったかも。麻雀が基本が楽しいに振れてるから、爆発すると楽しすぎる。

一般的には犬や猫がそうだと思う。基本が「可愛い」の状態にあるので、爆発するとオーバーに「可愛すぎる」と表現せざるを得ない。
子供が好きな人なら子供や赤ちゃんでもそう。

ただ書いていて、もしかしたらポジティブな感情に関してだけそうなんじゃないか?と思い始めた。
口に出す時に面白すぎるとか楽しすぎるとかばかり言ってないか?と。

多分違う。
これも屁理屈だけど、例えば人間関係には興味があってもネガティブな感情が残ることがかなりある。
好きになる可能性があるからアンチになるシステムだ。人間関係アンチ。

「悲しすぎる」「ウザすぎる」って思っても、他に影響があるから言えないだけだ。

言うとしてもちょっと茶化したくなってしまって、「泣いちゃう」「キレそう」って言い方になる。
マイクで言うと調整スライダーを小さくなるように設定しているだけで、しっかりと感情の幅は振れている。
状態としては口を噤んでいるだけ。

とにかく言いたいことは、僕は無条件にオーバーな表現をしているんじゃないよ!ってことだ。

これくらいで面白すぎるは言い過ぎじゃない?と言われても、それでもずっとこの表現で言い続けると思う。
それ以上に良ければ更に熱意を持って伝えるまでだ。

嫌いなものはあまり口に出さないし、興味がないものは感じないし、ちょっと好きなだけで好きと言って、どストライクな時にはオーバーに見えるだけ。

そっちの方が傍から見ててハッピーだと思うからそうしているよ!っていう一意見としての主張だ。

こういうことを人に話すと、屁理屈を説き伏せられて一般論でねじ伏せられるから書いてみた。

別に皆もこうした方がいいよっていう着地ではないかな。
自分の中では「𓏸𓏸すぎる」が決して言い過ぎじゃないと思う理屈はコレ。

もし可能なら「良すぎるな……」という文字列を見た時に「どストライクだ……」と変換してみてください。

あんま変わんなくないか?

こなまるでした。

フォローとスキを求めています