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けどでも気毒出物 24/01/01

年が明けた。
徹夜で祖母の家に行ったあと、16時間の睡眠を取っていた。

書くことに対して自粛みたいな気持ちがあったかというと、ゼロではない。
ちょっと書かない方がいいか、という気持ちもそりゃあったしまず眠くて書けなかった。どちらにせよこの時間に書き始めた方がいいと思って寝た。
僕もどちらかと言えば情報に揺らされる側の人間だ。

初詣を終えて日記を書き終わり、午前9時から午後2時まで待機。
もっと早くに家を出ると聞いていたのに、妹がずっと寝ていた。正月実家帰省で昼まで寝るのはさぞ気持ち良かろう。
この時点で24時間起きていることになるのは確定していて、カフェインを入れつつボカロを聴き踊ることで眠気を回避した。身体が温まりすぎて、上着を着る必要がなくなった。パーカー一枚で車に乗り込み、案の定寒くない?と指摘されてしまった。

パーカー一枚、パーカ一ー枚ぱーかーいちのばしぼうまいでもギリギリ気づかないかもしれない。双子がすり替わって学校に潜入する回くらいギリギリ。あとnoteで初めてふりがなをふった。

カフェインボカロダンシングのために聴いたのはyuigotさんといよわさんのCloudsurf。ふわふわ無意味に踊れる。


母の実家に着いた。実家といっても自分の家よりバリバリの都会にある。祖父母に挨拶した後、そのマンションの隣部屋に住むいとこにも久しぶりに会った。
祖父母は段々元気がなくなっているけど健在で、段々元気がなくなっていく人が身近にいると気を病みそうだなと正直思った。というか来るたび毎年思っている。

いとこも自分の兄以外は全員いて、自分含め5人。兄を含めて6人。世間的には少ない方らしい。家系図の説明はかなり面倒だけど書いとこうかな。母が三姉妹で、上から3,2,1と子供が居て、年齢が……?アレ?年齢?
いとこの年齢覚えてないかも。位置関係しか覚えてない。兄、いとこ姉、同い年男、自分、妹、いとこ妹。

当然同い年の子と一番仲がいい。挨拶が
「ちゃ~」「あけめ~」「あしゃしゃしゃす」「ざすざすざすざす」「しゃしゃしゃしゃしゃ」
だった。
その子は自他ともに認める顔がいい人間なのに、中身が極端に残念。似ている芸能人が断トツで平野紫耀。抜けてるアイドル性があるというか、そこの兄妹だけプリンスとプリンセスみたいになってる。

まあ適当な挨拶ムーブを仕掛けたのはこっちだから、見た目が男子中学生でストップしているこっちが「同い年は残念な男の子です」と書くべきじゃないけども。
電子シーシャを始めてるうえに売る側の人間になっていた。
このプリンスも半吉を引いたらしい。「今年二回引いて二回半吉だった」と言っていて、残念さが露呈していて良かった。「おみくじリセマラすんな」「大吉に天井ないだろ」みたいなことを言ってウケてた気がする。

家系全体がちゃらんぽらんで、お話大好き人間ばっかりの雰囲気がある。笑わせるのを前提でする会話が多い。

イメージ的にはこういうじゃれ合い。そもそも母方の三姉妹が小ボケしかしないから、その子供がそうなるのは遺伝というより環境への適応だと思う。

漫才みたいなモードに入るまではスマホを見て固まっていることが多くて、何でそのスイッチが入ったか思い出すと餅だった。
叔母が「きなこ9入りましたァ!」と言ってからあったまった感じがした。

当たり前みたいに自分が持ってきたボードゲームをテーブルに並べて、きなこ餅を食べて、そしたら通知が来た。

元日に大きな天災にあっているらしい。
当然不安になったし楽しむ気持ちも一瞬失せたけど、SNSも周囲も存外冷静だった。身の回りに人がいたこと、ほとんど一度経験したことだったからか。
ある程度全員が程度を共有したあとは、黙して祈るしかなかった。異常に情報が多くなるから、SNSにしても黙るのがいい気がして。こういう日記はもはや読みたい人だけが読むから、と思うけど。

一拍置いてから、いとこ姉が切り替えるようにボードゲームに対して質問した。この人が唯一の一人っ子で、一番弁えてて気遣えてて色々耐えてる感じがする。
家も近いらしく、頻繁にそのいとこの家にいる。同年齢がプリンス、その妹がプリンセスだとしたら、勝手にメイドや執事みたいな立ち位置だと思い込んでいる。世話焼きかつ物知り。
この時も「なんか意図的に雰囲気切り替えられたな」と思った。

「このザ・クルーってどんな?」「これは協力ゲーム。課題クリア系」「協力イヤな人いたね」と話していくと、「戦ってなんぼ」とプリンスが反応した。

持ってきた8個から一番簡単なものを選んだ。ミリ単位の長さ当てゲーム。その後は正円と直線だけのイラスト当てゲーム。ミリメモリーとぽんこつペイント。
持っていっても人と時間が揃わず報われないようにプレイできないことが多かったけど、この日は満足に楽しめてよかった。

晩御飯もそこで食べた。あとからいとこ姉に聞いた話、来る日程と時間の連絡があったからある程度多めに用意できたらしい。

母は毎年2時間前くらいに帰省連絡する癖があって、こっちも困るから業務連絡をいとこ越しにした。家が近いからでもあるだろうけど。
連絡だけでファインプレーだったらしい。できないことをできるようになって褒められる不良システムかもしれない。家系全体が激甘ちゃらんぽらんだと何でも褒められる。

32時間稼働に体が堪えて、帰ってすぐ歯磨きして寝た。

いとこや叔母ともっと話したいことあった気がするな~と思うけど、後半はもう頭が働いてなかった。

いい日だったけど、大きな災害が起こってなんとも言えない気持ちだ。
どこまでを他人事とするかは難しいが、身体や心の障害と同じで「事が起きている本人たち以外がとやかく言う」自体がそもそもウザいと僕は思うので黙りつつ祈って労わることにしている。

まあ全然黙れてないけどね。

「けど」「でも」ばかりの迷いのある日記になった。毎日そうか。気の毒でも構わず出る物なんだよな、情報や日記って。

なにうまいこと言おうとしてんの???
でもさぁ!!!

こなまるでした。

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