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コンプレックスを抱きしめよう。

きのうは、” 醜形恐怖症と向き合うなかで得た気づき「コンプレックスを抱きしめよう」”というRyukyufrogs11期生 河野美伶さんのトークイベントに参加してきたのだけど、
美伶さんの「醜形恐怖症」になるきっかけや病気とどう向き合っていくかという話に共感して過去を思い出したり、美玲さんが自分自身と向き合う姿に尊敬の念を抱いたり、私のコンプレックスをみんなの前で話して泣いたりと心が激しく揺れる1日だった。


醜形恐怖症(しゅうけいきょうふしょう)とは、他人から客観的にみてそれほどの欠点ではないのに、本人自身が「自分は醜い」、身体のある部分の形が「人より劣っている」、「変形している」などという観念にとらわれて苦しむこころの病気をいいます。

私は醜形恐怖症かどうかはわからないけれど、毎日自分の顔を鏡を見ては落ち込み、SNSで可愛い子を見ては”死にたいな〜”と思うし、お金があったら今すぐにでも整形したい。

でもそれが整形をして自分が幸せになれるのか考えると、そうではないと思う。

イベント中に話を聞きながら自分自身と会話していて気づいたことは、容姿だけではなく自分の能力や全てにおいて理想が高いということ。

そして、その理想の高さは全て母から浴びせられ続けた言葉の数々だな、と。

母は幼少期からとにかく私の全てを否定してきた

「目が小さい」「鼻が低い」「エラが張っている」「整形したほうがいい」「肩幅が広い」「デブ」「肌が汚い」「頭が悪い」「要領が悪い」「考えが甘い」「何もできないクズ」

大人になっても、努力を重ねても、何かができるようになっても、一切満足できない。

何をしても天井のない理想像が自分を追い詰め、母の言葉が呪いとなり自分自身に呪いの言葉を投げつける。

でも、去年やっと実家を出る決断をして、外に出かけられるようになり、自分の想いを人に話せるようになって、だんだんといい方向に変わってきていることは分かる。

環境を変え、私を受け入れてくれる人たちと時間を過ごし、少しづつ少しづつ自分を抱きしめられるようになってきている。

春奈さんが言っていた、

「自分自身が醜いと思えばそれは醜い」、
「自分のことを大事に思っていれば嫌な言葉を投げつけられても、私の大事な私にそんなことを言うな!と言って自分を傷つけない」

受け取った言葉をどういう感情にもっていくかは自分の選択だし、他人はコントロールできないから自分の解釈を変えるしかないのだよなあと。

最近、他人のことを記号や役割でレッテルを張り、憶測でひどい言葉を投げつける人たちの存在に心を痛めて人の多い場所に行くことができなくなっていたけれど、昨日のイベントをきっかけにまた新たな諦めがついた。

病気やマイノリティの存在を啓蒙することも大事だけど、他人を変えることはできないから、一番は自分を愛して誰にも自分を傷つけさせないことだなぁと。

今は自分を傷つけてくる人と関わろうとは思わないけど、呪いが解けて自分を愛せるようになったら、全ての人も愛せるようになりたい。

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