時計の針を動かすには

父が亡くなってから、2ヶ月が経過した。
四十九日は済んだし、もう忌中ではない。さて一般的にはどのくらいの時間が経ったらごく普通の生活に戻れるものなのだろう。


普通の生活をしていないわけじゃない。毎日毎朝、満員電車で通勤して仕事して、後輩の育成に頭を悩ませて、あれこれ依頼してくる実働チームに時に悪態をつきつつ、残業代つかないの結構きついなあと思いながら長々と働く日々。


土日は、香典返しでしょ、年始挨拶欠礼状の準備でしょ、葉書見てお線香送ってくださった方へのお礼状でしょ、あとプレート葬にしたからプレートデザインの提出がもう少し。並行して遺品整理もしている。やっぱりまだ全くいつも通りとは言えない。


そもそも、私の今までの「いつも通り」には絶対に父が存在していたんだから、そういう意味では私の「いつも通り」はもう戻らないのだ。新しい、父がいない「いつも通り」を作るしかない。


ひとつ、困っていることがあって、父が亡くなって以来、洋服が買えない。洋服は代表例ってだけだけど。なんだろー、やっぱり服買う時って、多少なりとも「あっこれ好き、いいな、買っちゃおうかな」みたいな心がわっと華やぐ瞬間がある。その直後に、「父親死んだのに洋服買って喜ぶって何?」みたいな気持ちが生まれてしまう。


この先、一生服を買わずに生きていくことなんてできない。わかってる。どこかで折り合いをつけなきゃならない。別に服買ったからってお父さんのことを忘れるわけでも何でもないけど、だけど、嬉しいこととか、楽しいこととか、「そんな気持ち抱くなんて薄情」みたいな気持ちがふとした瞬間に襲
ってくる。


自分で自分の時計の針を止めてるだけだ、と思う。わかってる。どっかで動かさなきゃ。それで、そして、動き出したけどお父さんのこと悼む気持ちが消えるわけじゃないって確信しなきゃいけない。いつかそうしなきゃいけない、まだそうできていない。いつになるかは、わからない。



漫画のハチクロの山田さんの台詞を思い出す。
「(真山のこと)いつまでも好きなままでいて、どれだけ好きなのか思い知らせたかった。でもそんなことに何の意味もないこともわかってた」みたいなやつ。

一人で勝手に葛藤してるだけで、がんじがらめになってるだけで、たぶん人によっては「何それ」って笑われちゃうような考えなんだろうな。


とりあえず早く2023年が終わればいい。おかしなもので、年が変われば、何か少し吹っ切れるんじゃないかという気がしてる。別に生まれ変わるわけでもないのにね。でもこの先きっと、お父さん亡くなったのいつだったっけ?って聞かれた時に答えるであろう「2023年」というものから、今は早く逃れたい。

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