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目の前の人に伝わらない

自分が仕事で若手を育成しているせいか、家庭の中での自分の扱われ方を見ると「信用されていないんだな」とか思ってしまう。そもそも母にそんな観点はないんだろうけど、そう考えてしまうんだなー。


父が他界し、母と二人暮らし。なんとか十数年、社会人続けてきて、今はそれなりの役職にもついたのだけど、仕事してる姿など知らない母からすれば、いつまでも頼りない子供なのだろう。

とはいえ、もう70も近い母親に、あまりにも世話を焼かれすぎると、有難いよりも先に苛立ちというか「そんなに私が頼りないか?信用できない?」と思ってしまう。


先日の関東の積雪の日、普段は自転車で最寄駅まで通っているのを徒歩で行った。そこまで本格的なものじゃないけど雨雪に多少は耐えられるブーツ履いていったし、がつがつ歩けるようパンツにしたし、問題はなかった。
仕事終わって徒歩で帰る道すがら、反対側から歩いて来る母と遭遇した。

「何やってるの!?」
「雪で危ないでしょ、お母さん、迎えに来ちゃった」


雪積もってる夜道を、70近い母親が、40近い娘を迎えに来る。
これ、有難いと思うべきなのかな。喜ばなきゃだめなのかな。


私は頭が真っ白になって、その後で「転んだらどうするつもりだったんだ」「普段から膝が痛い腰が痛い、たくさん歩けないって言ってるじゃないか」「別に助けを求めたわけでもないのに、なんで来るの?」「歩いて帰ることすらできないくらいに頼りないと思われているわけ、私??」など、ばーーーっと思考が回転して、悲しいような腹立たしいような虚しいような、ぐっちゃぐちゃになった。



もうひとつ。3/8、関東は朝だけ雪が降っていた。(また雪の日の話である)
私の自宅の辺りは、降ってたけどまだ霙レベルで、べちゃべちゃしたものが降ってる程度。電車には影響は出ていない。ただ、夜中から降り続いていた所為でそこそこ積もっている。

あー、歩きだな、早起きしてよかったな……と身支度していると、母が、「今朝は車で送って行くからね!霙だし、道路も凍っていないし、大丈夫だから!」と。


……またか、と思ってしまった。そして、断った。歩いて行ける、今は平気でもこのあと雪に変わるかもしれないから、駅まで行く間はよくても帰りが心配だから、と。
私はあまり母に反論すること自体ないのだけど、この日はねばった。歩いて行く、大丈夫、と5回以上は繰り返した。それだけでだいぶ疲弊した。身支度を終えて家を出る。


自宅前の道路の脇にうちの車が停まっている。
「車、駐車場から持ってきておいたの。ほら乗って!」と母。
……反論すること自体、苦しいのに、それ全部丸無視して、準備してたんか、この人。なんで?外出する本人が不要だって言っているのに、その意思を一切汲まないでひたすらに自分の意見を強行するって、もうなんでそんな行動がとれるのかわからない。理解できない。


またこの時も悲しいやら苦しいやらで、頭が真っ白。
つい強めの口調で「こちらが要らないって言ってることを強要されるのは、しんどい。やめてほしい」と言ってしまった。それを聞いてやっと諦めたらしい母。わかったわよ、歩くなら気をつけて行きなさいよ、と。


その時に思った。これが小雨とかだったら、寒いしだるいし、お母さんもこう言ってくれてるし、送ってもらおうかなーって気にもなったかもしれない。でも、雪は嫌だ。ちょっとでも降ってるなら嫌だ、事故の可能性だなんて考えたくもない。
だってもう、私にはこの母しかいないんだ。当たり前にいる存在だった父を亡くして、あとは私にはこの人しかいない。この人にもしものことがあったら(それはいつか必ず来ることなのだけど)、それが私を送った帰りの事故だなんて想像したら、あまりにも恐ろしくて、嫌われたって何だっていいから断るしかなかった。


高校生の時、祖父が交通事故に遭い、そこから体を悪くして大学生の間に亡くなった。車の事故はもう二度とごめんだ。考えたくもない。
「私のことなんかより母が危ない状況で運転する方がよほど嫌だ、心配だから今日は運転しないでほしい」と、つけ加えて言うことはできた。それだけは言わなければと思ったので、しぼり出した。

人に意思を伝えるのって本当に難しい。そして、とても疲れる。



……そして私のこととは別で、母のこの世話焼きっぷりは性格なのだろうけど、こういうのをうちの父も兄も当たり前に受け取っていたから、だからあんなになっちゃったのかなと思う。昭和の女性の献身は尊いものなのかもしれないけど、それに胡坐かく男は大っ嫌い。

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