たぶん変わりたいんだと思う

今まで書いてきた自分のnoteを見返して、「なんかいつも落ち込んでるなこいつ」と思った。初めて今年の目標というものを立てて、休日でも普段とそう変わらない時間に起床するようになって、HSPに関する本を買ってみた。

たぶん今、自分は変わりたいんだと思う。


買った本は武田友紀さんの『「繊細さん」の幸せリスト』。

まだ全然読んでないけど、焦って読みたくない。本屋で目について手にとってパラパラしてみて買ったってことは、そういうものを自分が求めてたんだと思う。

「楽しかったりワクワクしたりすることでも、刺激過多でオーバーフローになる」といったことを書いてる部分が目に入って、ああこれ似たことを前にnoteに私書いたなあって思い出して、もっと読んでみたいと思い購入。


最近ちょっと考えてたことに「HSPで良かったことって何かあるかな?」というものがあって、良かったというか、不幸になるのも速いけど幸せになるのも速いよな自分、と気づいた。例えば昼休みにお弁当を食べるのに使っている会議室にたくさん日差しが注いでいると幸せ。昼休みは光合成だーって嬉しくなる。

そういうことを見つけ出すヒントになってくれそうな本。ゆっくり少しずつ読みたい。



既に30数年生きてきて、今更すごい活動的だったり話好きだったりそんな人間にはなれないけど、自分の性質とそこにある枠組みの中でどこまで行けるのか出来るのか知りたい、という岐路に来ているらしい。

こういう気質で生まれたのはもう仕方ないし、父が難病と呼ばれるものになってしまったことも、母が父とのやり取りの中で冷静になれないことも変えようがない。ないから、だから、その現実の前でそこに対して自分は何が出来るか知りたい。と言っても、自分がめっちゃ頑張って無理して何でもかんでもやる、っていうのも出来ないししたくない。無理せず自分が出来ることはどこまでなんだろうって考えてる。


家のことだと、この前母に相談されたのは、「お父さんが施設に入るって選択肢を考えるなら、どこが線引きだと思う?」ということ。

なぜか知らないが、部外者である兄貴だの叔父だのが簡単にそういうこと言ってくるんですよね。「いつかは施設ってことも考える必要あるだろ」とか「どんな施設があるかくらい調べておいたら?」とか。


母も友人とそういった話をしたらしく、「お友達でね、『自分だったらすぐ施設入れちゃう、だって自分にも自分の人生があるんだもの』って言う人がいたの」だそうな。まあそれも一理あるわな。そういうスパッと割り切って考えられるひと好きです。

けど残念ながら我が家、基本的な考え方がウェッティなんだよな…なんか、こう、じめっとしてるというか、「えーでもーそこまで思い切れないっていうか…」でずるずる行く感じ。


私だって考えないことはない。具体的には、排泄が介助なしでは全く無理という状況になったら、がひとつの線引きだとは思う。けどそれは私が頭の中だけで考えていることであって、父の気持ちも、金銭面も、施設に空きがあるのかも、他にもたくさん考慮するべき要素はある。



本の話だったのに、またいつもの悩みの話にシフトしていた。まとまらないねえ、いつものことだけど。

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