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(掌編)僕は<僕>を分解することにした


 まずはゆっくり、自分を分解していこうと思った。
 小さく小さく、素粒子レベルまで小さくして、いつか、観測することが困難になるまで。

 自分自身が、怖いと感じるようになった。
 他人の意見にあっさりと流される僕自身の意見、他人の考えに同調できない僕自身の考え。社会的多数派が、静かに主張すること。この社会で力を持つひとたちが目指そうとする将来像。ミクロのこともマクロのことも、僕との摩擦を感じる。
 僕の<何>と摩擦を起こしているのか。
 僕のこの<身体>であって、<自意識>、<僕の主観>なんじゃないか。

 僕と僕以外の全てと摩擦を起こすもの。
 自分自身(ここで<僕>という言葉を与えよう)がそうなのであれば、僕は<僕>を手放すことでその摩擦から逃れようと企てた。

 世界を分割した時(それは星や空気や岩や紙、自分自身の肉や骨や内臓や神経も含む)、それ以上分割できないものはなんだろう、と考えた昔の人たちがいた。
 僕の知っている話では、デモクリトスが原子論を唱えた。「それ以上分割できないもの」という意味で、「Atom」と呼ばれた。日本語では「原子」だ。
 目に見えるものも、見えないものも、自分自身の体や宇宙の果てにある星も観測できないものも全て、アトムが組み合わさってできているのだと考えたのだ。
 その後、技術の発達と近代科学の誕生して、世界を構成する「それ以上分割できないもの」は、今のところ素粒子だということになっている。

 僕のこの体、皮膚、神経、そして脳。正体がわからない自意識や主観。これも素粒子で構成されているのであれば、僕は<僕>を素粒子レベルに分解するしかない。
 そしてそれが、僕自身も<僕>であることを認識できなくしてしまおう。

 実際に物質を素粒子に分解するのは、山手線並みの敷地を使用した加速器が必要らしい。
 僕の想像つかないくらいのエネルギーと資金が必要なんだろう。物質的な僕を、ぽいっと加速器の中に入れたって素粒子には簡単になれない。
 そう、とてもじゃないけど現実的じゃない。

 せめて僕の<身体>を分解することが無理なのであれば、<自意識>とか<主観>は僕の意思で分解できるかもしれない。
 それを<魂の分解作業>と呼ぼう。
 まずはゆっくり、分解していく。小さく小さく、素粒子レベルを目指して、いつか、僕自身も観測することが困難になるまで。





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