2018.8.5 夢十夜/第三夜
こんな夢を見た。
つつじの甘い匂いに誘われて、帰りの夜道を寄り道した。
普段は通勤で使う道。大きな公園に沿って植えられたつつじは、満開だった。いつもはあまり気にしないのだけど、今日は月明かりに照らされた姿や、その匂いに誘われた気がしたんだ。
深夜の誰もいない公園へと足を運ぶ。
園内の少ない電灯に照らされたつつじを見て、つつじにも様々な色や柄があることを、僕は知る。
この公園は、昔はお殿様の庭園だったのだと誰かに聞いたことがあった。
地元ではゆるキャラになるほど、知名度と認知度の高いお殿様。ある所では学問の神様扱いをされているらしいが、なんでも女遊びが得意な殿様だったらしい。
この元庭園に、気に入った女性たちの家を建ててやったという。ある女性がつつじの花を愛していたために、庭園内につつじを植えたのだ、と。
人に聞いた話なので、どこまで本当かは知らない。
確かに、初めてまじまじとつつじを見るけれど、これは美しい花だと思う。
公園の奥に行けば行くほど、つつじの匂いは強くなる。
少しアルコールの入っていた僕は、かかとを引きずりながら奥を目指す。
ずり、ずり。ずり、ずり。
靴底をする音は、いつしか草履の音の様に聞こえてくる。
酔いが回ってきたかな、と右手に見えるつつじへと視線を向ける。
僕の右腕に、着物の美しい女性が、腕を絡めていた。
突然のことに驚き、言葉が出てこない僕をよそに、彼女はにっこりと笑う。
「もっと奥へいきましょうよ」
そして止まってしまった僕の歩みを促す。
月明かりに照らされた彼女の顔は、まっしろだった。陶器のような美しさとは、このことだろうと思う。
僕は頷いて、再び歩き始める。ずうり、ずうり、と草履の音が庭園の中に吸い込まれていく。
しばらく歩くと、街並みを見渡せる小高い場所へと出た。
月明かりに照らされた街は、信じられないくらい暗かった。ところどころ、辻のようなところで松明が揺れている。
あれ、と違和感を感じるものの、言葉にはしなかった。
右隣の彼女が、僕の腕を強く抱いたのだ。
「毎年、不安になるの」
彼女は暗い街の、もっと遠くにある山の向こうを見つめながら言った。
何に、と僕が尋ねる。
「冷たくて重い雪が解けて、春が来るでしょう。土が温かくなって、葉が大きくなっていくでしょう。でもまだ、つぼみは出さないの」
うん、と僕。
「桜のやつが先に散って、葉っぱにならないと、つぼみは出さないの。じっと待って、みんなが桜に飽きたころに、つぼみを開いていくの」
そういえば、桜が散るとつつじは咲く。
「満開になると、みんなが見てくれる。私のためにお祭りもしてくれるのに、梅雨が来ると、私はみじめに散ってしまうの」
うん、と僕。
「そして夏が来るでしょう。秋が来るでしょう。冬が来て雪が降るころには、みんな、私のことを忘れてしまうの」
想像すると、なんだか悲しくなってきた。
「雪が降ると、私はもう、みんなに思い出してもらえなくなるんじゃないかって、思ってしまうの」
悲しさに、足元を見まいと空を仰ぐ。大きな満月が天頂に昇っていた。
月はまっしろだった。とても冷たく輝いていた。今にも、雪が降るんじゃないか、と不安になる。
「毎年、不安になるのよ。そのまま、春をじっと待つの。それが、毎年、辛いのよ」
右腕に絡められた腕の力が、少し弱まる。僕と彼女の腕の間を夜風が通り過ぎて、体をほんの少し冷やす。
「だから」
僕は彼女の気持ちに、かける言葉が見当たらない。
僕は毎年、待っているよ。たぶんこれからもずっと、五月が近づいたら君を想うだろう。甘い匂いで僕を誘って、寄り道させてほしい。
気持ちは、言葉にならない。
「だからね、もう終わりにしようと思うのよ」
視線を感じて、彼女の顔を見つめかえす。黒い、まっすぐな瞳には月明かりが差し込んでいる。
おわりにするって、なにを?
「きっと、きっとだけど、今年の雪には耐えられないわ。根も幹も葉も、痩せてしまったもの」
孤独が悪いのだ、と彼女は目を伏せる。
冬のことはまだわからないじゃないか。今年の大雪も耐えて見せたのだから、大丈夫さ。
「いいえ。たとえ耐え抜いたとしても、また美しい花を咲かせられないわ。だからお仕舞いにするのよ」
彼女の腕が、僕の腕から離れる。僕は、離してはいけない、そう思って彼女の腕をつかむ――つもりだった。
ふっと、視界から彼女が消える。掴んだと思った手にその感触はなく、ただ風が吹いただけだった。
あたりを見回すが、姿は何処にもない。
暗くなった街と、ただただ甘いつつじの匂いと、冷たい月があるだけだった。
僕は靴底を引きずりながら、来た道を引き返す。
つつじが風に揺られ、そのたびに、甘い匂いと底知れぬ不安を感じさせる。
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